日本性差医学・医療学会

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リレーエッセイ

リレーエッセイ連載の終了のお知らせ

リレーエッセイ終了のご挨拶

日本性差医学・医療学会 理事長
国際医療福祉大学大学院副大学院長
東北大学客員教授・名誉教授
下川 宏明

 2018年の春から開始しました本学会のリレーエッセイを、約3年間の活動の後、今回の第16回をもちましていったん終了させていただくことになりました。

 この間、本学会の理事・監事・評議員の先生方を中心に、計33名の先生にご執筆いただき、有難うございました。

 各エッセーとも、その先生の経歴の中での性差医学・医療との出会いやその後の発展が興味深く語られており、毎号、楽しく読ませていただきました。

 このリレーエッセイを通して再確認いたしましたが、性差医学・医療は、医療関係者だけではなく、広く一般市民の方々の人生にも深く関与している重要な分野であり、また、人生を生きていく上での重要な視点でもあると思いました。

 現在、世界的に新型コロナウイルス感染症が深刻な問題になっていますが、この問題にも性差が認められることが明らかになってきています。

 性差医学・医療は、人の生老病死の全てにおいて重要な役目があるのではないかと思います。

 片井理事の編集後記にありますように、本学会では2021年度から認定制度を開始し、また、それを促進する目的で2021年2月からクラウドファンディングを開始しましたが、皆様のご協力で目標を達成することができました。心からお礼申し上げます。

 引き続き、本学会へのご支援を宜しくお願い申し上げます。

(2021年3月29日記)



編集後記と“これから”に向けて

政策研究大学院大学保健管理センター 教授
日本性差医学・医療学会 理事
片井 みゆき

 日本性差医学・医療学会リレーエッセイは2018年春に下川理事長らのエッセイからスタートし、中断期間を挟み、昨年3月から再開しました。リレーのバトンは、この1年間で理事ほぼ全員、さらに若手評議員を含め、次々と手渡されました。「掲載を毎月楽しみにしている」という嬉しい声も届く中ですが、本企画は今月号でいったん終了とさせて頂く運びとなりました。

 リレーエッセイ開始の経緯は、2018年1月の第11回学術集会(大会長:樗木 晶子先生)でのアカデミックキャリア委員会で、性差医学・医療の啓発と発展、学会の活性化のための取り組みが議題に挙がり、リレーエッセイ掲載を私から提案させて頂いたものでした。当学会は各専門分野を代表する方々が多数所属され、性差という視点から専門分野を超えた交流が醍醐味ですが、リレーエッセイを通して当学会のそうした魅力をお伝え出来たらと思っての提案でした。下川理事長のリーダーシップの元で早速に開始となり、編集も私が担当させて頂くことになりました。至らぬ点も多々あったかと存じますが、執筆者の皆様のご協力と、ご愛読頂きました読者の皆様へ改めて御礼申し上げます。

 現在、本学会は次なる新たな取り組みに向けて、始動しております。まず、日本性差医学・医療学会として医師・コメディカル等を対象に認定制度を開始し、性差を意識したヘルスケアを実践できる人材を広く養成することになりました。医療者が性差医学・医療を学ぶことで医療の質と精度が向上し、「ひとりひとりに適した医療」つまり、Precision Medicine(プレシジョン・メディシン:精密医療)へと繋がります。

 もう一つの新たな取り組みはクラウドファンディングです。折しもの新型コロナ対応を含めた厳しい日常業務の中で、一人でも多くの医療者が性差医学・医療をオンラインで学ぶことができるように、只今クラウドファンディングを通じて皆様からのご賛同と温かいご支援を広く頂いておりますことに、心から感謝申し上げます。詳細に関しましてはこちら https://readyfor.jp/projects/52377 をご覧頂けましたら幸いです。

 近い将来、認定制度で新しく仲間に加わって下さった皆様が、リレーエッセイの続きを紡いで下さる日が来ることを心待ちにしております。性差医学・医療の“これから”に期待で胸を膨らませつつ、編集後記の筆を擱かせて頂きます。


ご支援はこちらから (2021/4/30まで)
https://readyfor.jp/projects/52377


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第16回(2021.3.30)

歴史の裏側

上山病院 内科部長
日本性差医学・医療学会 評議員
嘉川 亜希子

 「日本の性差医学・医療の歴史」の話が出ると、私はソワソワと落ち着かなくなります。ほぼ毎回登場する項目の中で、①2001年鹿児島大学病院に日本初の女性専用外来開設. ②2008年性差医療・医学研究会から日本性差医学・医療学会へ発展. ③2010年日本循環器学会が「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」を公開. の3つの歴史に関係しているからです。

① 2001年鹿児島大学病院に日本初の女性専用外来開設.
 全ての始まりは2000年12月14日に鹿児島大学旧第一内科学講座主催のセミナーに天野恵子先生をお招きして、「Gender-Specific Medicineの提唱:女性における虚血性心疾患」というご講演を頂いたことでした。初めて知る“Gender-Specific Medicine”という概念、天野先生の颯爽としたご講演風景、誰よりも怖いと思っていた鄭教授がどうやら天野先生には頭が上がらないらしいことなど、驚きに満ちた夜でした。セミナー終了後、鄭教授、医局長、女性医局員で天野先生を囲んでの食事会が開かれ、その席で鹿児島大学に女性外来を立ち上げることが決定されました。大事な出来事って飲み会の席で、勢いで決まることが多いように思います。私は受け持ち患者さんが重症でセミナーだけ出席し、この歴史的な食事会は欠席したのでその決定的場面に立ち会っておらず、なにがどうしてかわからないまま、翌日、上機嫌の鄭先生から「4ヵ月後の2001年4月に女性外来を立ち上げるように」との御託宣をいただいたのでした。そしてなにがどうしてかわからないまま、諸先輩女性医師ではなく、「あなたが代表をするように」との御信託もその時同時についてきたのでした。開設当時私たち担当の女性医師8名は、患者さんが納得されるまで訴えを傾聴することで患者との信頼関係は築けても、多岐にわたる訴えを統合的に診断し、対応するスキルを持たないことに対するもどかしさのストレスにさらされていました。女性外来を開設はしたものの、準備不足・知識不足は明らかであり、日々苦しみながら外来をこなしていました。

 ある時微熱・腹痛を主訴に病院を転々とされてきた患者さんに検査結果に異常がないことを説明した後で、「では次回の予約はいつにしますか?」と言ったところワッと泣き出されてしまいました。「どの病院でも検査で異常がないのだからもうこなくていいと言われてきた。また来てもいいと言ってくれてうれしかった。」と言われたのです。泣き出さないまでも「検査に異常がない=その症状はたいした病気ではない=不定愁訴の多い面倒な患者だ」という扱いを受けてきた。と訴える患者さん達のお話を聴きながら、ある時「ああ、その診察風景は昨日までの私の姿だ。」ということに気づいたのです。未熟者である私は、女性外来をしていくうちに初めて本当に心底から、「検査に全く異常がなくとも、患者さんは症状自体に苦しんで、悩んで受診しているのであり、私たち医療者はその症状に対処し、苦しみを軽減する方法を見つけ、提供しなければならない」という思いにやっと至ることができたのでした。他の先生方にとっては当然最初から実践されていたことかもしれませんが、私は女性外来をしていなければ、この大事なことに気づくまでにもっと時間が掛かっていたかもしれないと考えると恐ろしくなります。

 ここまで書いたところで文字数が規定に達しました。このリレーエッセイは今月で終了と伺っております。最後を飾るというより、次回へ続くような終わり方になってしまいました。「研究会から学会へ発展」と「ガイドライン」の裏側についてはぜひ日本性差医学・医療学会の活動に参加していただき、どこかでお会いした時に私に直接お尋ねください。


2010年日本循環器学会が「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」を公開


ガイドライン作成時の苦労の跡です。
この付箋の量は異常ですね。付箋好きなんです。2008-2010年


2008年ストックホルムでの国際性差学会にて。
9月だというのに寒くて天野先生は口唇チアノーゼ、私は唇がしもやけになっています。



日常における性差医療

東北大学大学院医学系研究科循環器内科学分野 准教授
日本性差医学・医療学会 監事
髙橋 潤

 昨日も外来診察中にクラークさんから「先生、北海道北見市の先生から微小血管狭心症の患者さんを紹介したいとお電話が入っています。」と電話を回された。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の対象に北海道は入るかしら?と考えながら電話を代わると、30代とおぼしき若い男性の先生が、
「かかりつけの65歳女性なのですが、私の病気はこれだ!と言って微小血管狭心症についての記事の切り抜きを持参し、インターネットで検索して東北大学病院での検査を強く希望しています。もともと不安感の強い方なのですが…」と何となく申し訳なさそうに仰る。
「このコロナ禍の状況ですが、その患者さんは仙台まで外来受診のために来られますか?」と伺うと、
「明日にでも行きますと目の前で仰っています。毎晩発作が出て、コロナよりも怖いらしいです」とのこと。
 微小血管狭心症が疑われ(もしくは自ら疑い)、先月は広島、その前は鹿児島や京都在住の患者さんが、はるばる仙台まで来て(コロナの感染状況が下火になるタイミングで)ぼくの外来を受診された。患者さんは決まって妙齢のご婦人であるが、その情熱と行動力には頭が下がる。また、近年ITを駆使しての情報収集能力の向上も目覚ましく、中にはぼくが書いた科研費報告書(公開済)を入手し熟読してから受診された方もいた。それだけ日常生活における原因不明の胸痛に困っているのだと思う。実際、カテーテル検査で冠動脈機能を詳細に検討すると7割以上の方が冠攣縮性狭心症か冠微小血管狭心症と診断されるし、それらが陰性であっても、「詳しく調べてもらって良かった」と言って納得して帰られる。この「納得する」を得るためには冠動脈機能異常といった普段は目で見ることができない事象を、画像や数値データといった誰の目にも見える形にして提示することが不可欠なのである。「目で見えないものの大切さ」について、ぼくはメンターである下川宏明理事長から長年にわたって指導され、多くのことを学ばせていただいた。世間一般はいわゆるジェンダーレスにシフトしているが、それでも生物学的に女性と男性の間には数々の目で見ることができず、白黒では割り切れない重要な相違点が存在している。それら相違点一つ一つの持つ意義や疾病関連性を誰の目にも見えるように可視化して性特異的医療の開発へと昇華することが性差医療の醍醐味なのだろう。最近、ヨーロッパ心臓病学会は虚血性心疾患における冠動脈機能異常の重要性についてガイドラインやエキスパートコンセンサスドキュメントで言及し、その性差についても注目している。世界もようやく下川理事長の仰る「目で見えないものの大切さ」に気が付き始めたようである。
 日本性差医療・医学会の会員の先生方、原因不明の胸痛発作を訴える患者様がいらっしゃいましたら、ぜひ東北大学循環器内科にご紹介ください。今後ともよろしくお願いいたします。


虎の門病院初期研修医時代、院内レジデント居住区において(1997年)


下川理事長が主宰された第8回国際性差医学会学術集会では事務局長を務めた(2017年)


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第15回(2021.3.3)

性差医学の魅力

大阪医科大学産婦人科学教室 教授
日本性差医学・医療学会 理事
大道 正英

 平均寿命に性差がある様に、種々のイベントの発症が性差によって異なってくることは多々あります。それらのメカニズムは多くの場合に明らかになっていなくて、それを解明することが、私の今までの研究のモチベーションでありました。

例えば、

① 閉経後に高コレステロール血症、心・血管疾患の発症頻度が高くなり性差があります。

② 女性は閉経時に骨量が急激に低下し、男性には閉経がないのでしだいに骨量が低下し、骨粗鬆症の発症頻度にも性差があります。

 性差にとって大きな役割をしているのが、女性ホルモンです。女性ホルモンはエストロゲンとプロゲステロンからなりますが、エストロゲンは思春期から血中濃度が上昇し、初経を引き起こします。性成熟期には血中濃度は安定し、その後しだいに低下し、閉経を迎えます。日本人女性の平均閉経年齢は50.5歳で59歳には全ての女性が閉経を迎えます。日本人女性の平均寿命は87歳を超え時代と共に長くなっていますが、閉経年齢は時代に関係なく一定です。また、興味深いことに、閉経後の血中エストロゲン濃度は女性の方が男性より低くなります。

 我々のグループはエストロゲンの血管内皮・平滑筋における作用、乳癌、卵巣癌における作用に着目し、エストロゲンの作用には転写因子であるエストロゲン受容体を介する経路(genomic pathway)と介さないnon-genomic pathwayに分かれていることなどを明らかとしてきました。また、プロゲステロンには血管内皮の機能を低下させ、乳癌細胞を増殖させることも明らかとしました。さらには、テストステロンに卵巣保護作用のあることも解明しました。これら、女性ホルモン・男性ホルモンに関する研究は非常に夢があるのと同時に、終わりのない旅路でもあります。

 今後も、常に性差医療への還元を目指して、研究を続けていく覚悟で御座います。
これからも、宜しくお願い申し上げます。


30年前にミシガン大学に留学をしていたときの研究室のベンチでの光景です。がんの分子メカニズムにタイロシンキナーゼが関与していることを全世界で注目をしていた時で、それに関する実験をしていました。冬は-20度ですが、防寒対策はしっかりされていて半袖・短パンで過ごしていました。


一方、夏はご覧の様にゴージャスな日和で、研究室のアメリカ人と良くゴルフをしていました。


約20年前に山形大学の倉智名誉教授(現大阪府立母子総合医療センター総長)の下で勤務していた時の花笠まつりで踊っているときの写真です。


 こういう風な良い経験をさせていただいたことが現在の自分の礎となっており、お世話になった方々に感謝している次第です。



出会いは突然に

久留米大学医学部内科学講座 心臓・血管内科部門
/ 高度救命救急センター CCU 副主任
日本性差医学・医療学会 評議員
第13回日本性差医学・医療学会学術集会 副会長
大塚 麻樹

 2019年冬、きりっと晴れ渡ったある日のこと久留米大学心臓・血管内科福本義弘主任教授に呼ばれた私は、何事だろうかと妙な胸騒ぎを感じつつエレベーターに乗り込みました。救命センターから9階の医局まで向かい、緊張しつつ教授室のドアをノックしました。教授はニコニコといつもの笑顔で立っておられどうやら「やらかした」わけではないことが分かり安堵したのもつかの間、教授から思いもよらないお言葉を頂きました。「今度久留米でやる第13回セイサイガッカイの副会長を先生にお願いしたいと思っているんですよ。」「セイサ?精査?性差?」「そう、性差医学医療学会。」それがまさに私の性差医学医療学会との突然の出会いの始まりでした。

 それから大宮で開催された第12回性差医学医療学会に参加させていただきました。内科医だけでも消化器、循環器、代謝内科と様々な分野の先生方が出席されており、他に脳神経外科、産婦人科、泌尿器科とまさに異種格闘技戦の様相でした。そして圧倒されんばかりにキラキラの先生方、特に女性医師!がたくさんおられたことは私にとってカルチャーショックともいうべき出会いになりました。私が知っている学会というものはスーツ姿の男性陣の中にちらほら女性医師がいるのが当たり前の光景でしたが、よく考えたら人類の半分は女性です。本来もっと女性がいなければそれはおかしな世界なのかもしれないということに初めて気づかされました。また活発な議論の中で性差について考えることがこれからの医療にいかに必要なことであるかということも痛感させられる二日間でした。

 話はさかのぼりますが、私は救命センターCCU配属となる前は足達寿先生(現久留米大学地域連携講座教授)にご指導いただき疫学研究に携わっておりました。70年の長きにわたる世界7か国共同研究の一環である田主丸研究や宇久島検診という住民検診を通じて様々な研究に参加させていただきました。その中で得られた知見を性別に分けて解析するとさらに示唆に富んだ結果が得られた意味が今になってやっと腑に落ちたような気持ちでした。

 思えば医師となってからのこれまでの出会いはいつも突然で、ドラマチックです。疫学と出会ったことも今は救急の最前線にいるのも、性差医学との出会いも偶然のようでそれは必然なのでしょう。出会いの全てが今の私の原動力です。この学会を通じてこれからまた幾多の出会いが待っているのかと思うと胸が高鳴ります。それは今これを読んでくださっている貴方との出会いかもしれません。これを最後まで読んでくださった貴方が学会に足を運んでくださったら幸いです。


疫学研究室時代。循環器専門医のいない離島にて定期的に行われている長崎県宇久島検診の仲間と共に。
(2017年)


久留米で開催された第13回日本性差医学・医療学会。アカデミックキャリア委員会特別企画 働き方改革と共存する男女共同参画医療の白熱するディスカッション風景。(2020年)


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第14回(2021.1.29)

素晴らしい出会いが環境に身を任す決意をくれた

徳島大学大学院 医歯薬学研究部長
日本性差医学・医療学会 理事
苛原 稔

 1979年に入局した頃の徳島大学産婦人科は、第5代足立春雄教授が前年にご逝去されたので教授不在でした。なにせ卒業後に研究など全くする気がない医学生でしたから、好きな臨床だけしていても怒られない医局は実に自由で楽しい生活でした。朝は10時頃から外来診療、合間に病棟で患者回診、午後は手術助手、夜は2日に1回近隣の病院に当直に行き、当直のない日は仲間と酒で夜明けまで過ごす日々でした。他科の同級生が、夜中まで教授が帰らないので医局で居ないといけないと愚痴をこぼすのを聞いて、天国に居る気がしたものです。

 関連病院が四国四県に広がっているので、毎週末、他県の病院に3~6時間かけてマイカーで当直に出かけました。大学の雑用から離れられる遠征的週末当直は大好きでした。当直回数からするとそれなりに収入はあったと思うのですが、どうも酒に消えて行ったようで、車の走行距離はどんどん増えるのに、ほとんど貯金は持っていませんでした。

 けっして自慢できる研修医生活ではありませんでしたが、大学病院、都市部の中核病院、地域の総合病院、開業医の病院など多様な病院で働いたことで、素晴らしい技能や多様な医療への考え方を持った多くの先輩医師と出会い、生き様に直接間接に触れる中で、医師としての生き方の基本が身に着いたように思います。

 2年後に第6代森崇英教授が就任されると医局が研究一色に変わりました。森教授は英国で成功した体外受精を日本でも成功させることを目指して医局内を叱咤激励し、それに応えて医局員は研究に励む日々が始まりました。毎日真夜中まで医局の明かりが点り、私もいつの間にかその習慣が身に着きました。与えられた研究テーマであるブタ卵子の培養に明け暮れ、関連の最新論文を読む時間が増え、自然と酒の回数は減り、研究ノートが厚くなるのを楽しみにするようになっていました。

 そしていつの間にか多くの先輩たちは医局を去り、私のような大学生活が苦にならない医局員が残りました。その後も、幸運でしたが、臨床と研究のバランスを大事にされる第7代青野敏博教授が就任され、その薫陶を受けて医局運営の妙を学ぶことになりました。そして気が付けば、国内留学、米国留学を除き、40年間大学で過ごすことになり、環境の流れに身を預けた結果、入局時には全く考えもしなかった人生を歩むことになりました。

 振り返ると、研修医時代に思い切り臨床に浸かり様々な臨床経験をしたこと、一方で偶然にも最先端の医学研究に触れて憧れを持てたこと、そして各時代に、ある時は臨床、ある時は研究とバランスを取った日々を過ごせたこと、そして私自身大きく変わる環境の流れに身を任す決意があったことが、臨床医であり研究者でありたいという欲張った気持ちを持続できた理由かなと思います。その決意するチャンスを与えてくれたのは恩師である2人の教授との出会いでした。

 私も18年間第8代教授職を務めました。出会った医局員にどのようなチャンスを与えられたのかな? 終業式で成績表をもらう気分です。


左)学生時代
1977年、医学部5年生。友人と北海道旅行中の写真です。ちょうど有珠山が噴火した時でした。
右)講師時代
1997年、サンフランシスコでの国際学会で発表した折です。


教授就任時
2001年、教授就任時の雑誌インタビューの折です。



性差医療に導かれて

春日クリニック 院長
性差医学医療学会 評議員
清田 眞由美

 “医師を目指すなら女性の幸せは断念するくらいの覚悟がいるよ”と中学の担任から諭され一度は諦めかけたが、どうしても諦めがつかず、理系に転向して念願の熊大医学部に進学した。希望に燃え勉学に励み、第一内科に入局した。学外研修が始まる頃、出産が大きなハードルとなり研修先の選択に苦慮した。女医の数がまだ少なかったので、人の融通の利く公的病院の消化器内科2か所で研修できるよう上司が配慮してくれたが、仕事中はほかの同僚や医局に迷惑をかけないようにできる限りの努力をした記憶がある。

 平成4年に、”ずっと診つづける”をモットーに夫と無床の診療所を開設し、プライマリーケアに取り組んだ。そこでさまざまな悩みを抱えた更年期女性が多数いるにもかかわらず、医療がその受け皿になっていない現状を目の当たりにした。研修医時代、寝たきり患者の8割が女性であったことにショックを受けたことと重なり、どうにかできないかという思いに駆られた。内科の幅広い知識の習得に努める一方で、東京で活動が始まっていた更年期女性の会に参加し、いろんな声を聴かせてもらった。更年期学会にも欠かさず参加したが、当初は内科医の参加はまれで、珍しがられた。本格的に漢方も勉強を始めた。その頃、更年期学会で天野恵子先生の”性差医療”の講演を拝聴し、これこそ自分が求めていたものと心から感動した。天野先生の凛とした女性医師像に魅了され、そこに集う素晴らしい先生方との出会いも生まれ、力強い心の支えとなった。自分なりに展開してきたNBMの更年期外来が新たなEBMで裏打ちされた実感がした。その後天野先生から、千葉県主催の性差医学国際セミナーのオブザーバー参加を認めて頂いたり、当院の更年期世代の勉強会“おりひめの会”で講演頂いたりした。

 本学会には、研究会の頃から参加させていただいている。鹿児島大学の鄭教授や嘉川先生にもご紹介いただき、鹿児島大学に2年遅れて、熊本で第1号の女性専用外来を開設した。天野先生は女性外来担当医師のための情報交換の場として、性差医療情報ネットワーク(NAHW)を設立してくださった。天野先生、鄭先生にご相談して、性差医療で活躍されている九州の先生方と九州支部の立ち上げも行った。現在も年1回の研究会を開催している。2020年2月に本学会が福岡で開催されることをうけ、学会の普及と広報も兼ねて初めて2回の研究会を行った。お忙しい中、下川理事長と直前には福本学会長にご講演頂いた。

 性差医学医療学会は各学会を牽引しておられる錚々たる先生方の集まられる希有な学会で、広い視野の専門的な情報が短時間で一度に得られる素晴らしい学会であると常々思っている。性差医学医療学会の更なる発展を願ってやまない。

 出産や育児、家庭と仕事の両立は難しいと言われ続けてきたことが、実は私の性差医療の原点となり、生活を支える医療の実践につながっている。4月からは家庭医療専門医の若手医師が常勤で加わり、女医が4名となる。女性の人生の多様性を尊重し、学び成長し続ける組織でありたいと思っている。


天野恵子先生、初来熊頂いた講演会(2002年2月)


第10回記念性差情報ネットワーク九州支部セミナー(2019年6月)



「性差医学・医療との出会い、ロールモデルとの出会い」

アットホーム表参道クリニック副院長
日本性差医学・医療学会評議員
日本老年医学会代議員・ダイバーシテイ推進委員会委員
第14回日本性差医学・医療学会学術集会(2021 2/6-7開催)副会長
宮尾益理子

 私は、代々続く医師の家系(かっぱ伝説ゆかり、日本で5番目に古い病院(猫山宮尾病院))の小児科医の父が医学部長を務めていた昭和60年に徳島大学に入学しました。所属した医学部ゴルフ部に女子の試合はなく、砂袋とキャディバックを担いで2Rする春夏の合宿以外は週1練習で同好会感覚でした。「そのゴルフは一生の財産になる」と同級生に言われた時には「?」でしたが、研修医時代の医局旅行で、霧立ち込める箱根のゴルフ場で折茂肇教授、大内尉義病棟医長の組でデビューして以来、共有する時間の貴重さを実感しております。

 平成3年から父の母校の東京大学で、7つの内科(第一〜四内科、物療、神経、老人科)から、「高齢者」の全人的医療と「老化」に魅力を感じて最初の研修先に選んだ老人科(折茂肇教授)と、第2内科(杉本恒明教授→小俣政男教授)で、半年ずつ研修しました。

 2年目から3年間(2年間+大学院1年目)を、東京都老人医療センター( 現:健康長寿医療センター)の循環器科(桑島巌部長)、内分泌代謝科(井藤英喜部長)で過ごし、「高齢者の診方」とともに、高齢者高血圧、高齢者糖尿病に関する多くの臨床研究に携りました。診療後の暗い外来でのカルテ調べでいつも終電近く、学会発表も論文も数多経験しました。

 内科研修2年終了前に老人医療センター医局に登場された大内先生の「女医さんは優しいから老人科に向いているんだよ」のGender sensitiveな一言が決め手となり、老人科に入局しました。内分泌代謝科では、老人科から赴任したばかりの中村哲郎先生から、骨粗鬆症の手ほどきを受けました。治療薬は、活性型ビタミンD製剤、エルシトニン製剤(折茂肇先生開発)、女性ホルモン補充療法(HRT)の時代で、通常の半量HRTの共同研究者として、メルボルンのICCRH(国際カルシウム代謝ホルモン学会)で発表の機会を得ました。この女性ホルモンと骨粗鬆症に関わったことが「性差医学」との出会いです。

 また、老人医療センターでは、天野恵子先生の同級生の森真由美先生(血液内科部長)、後に国立精神・神経医療研究センター病院長となられた故・村田美穂先生など、臨床も研究もバリバリでキラキラの女性医師が多く、自然とロールモデルに感じていました。

 大学院生として戻った老人科は、エストロゲンと骨粗鬆症、動脈硬化に関する研究が盛んでした。私の研究テーマは骨粗鬆症でしたが、ビタミンKの基礎的研究は結果につながらず、「遺伝子多型を用いた骨粗鬆症の遺伝的素因に関する検討」で卒業しました。「骨粗鬆症外来」では多くの更年期女性を診療し、半量HRTの血管内皮機能への効果を橋本正良先生(当学会第12回大会副会長)と共同研究したのもこの時期です。平成12年から関東中央病院(杉本恒明院長)代謝内分泌科に同門の水野有三部長の下に赴任。引き続き、「加齢」と「性差」の視点で、糖尿病、骨粗鬆症、その他内分泌疾患の患者さんを全人的に診療することができました。素晴らしいイクボスのもと、糖尿病・内分泌専門医、産休+育休、Gainesville, Geriatric Research Education and Clinical Center(GRECC)での老年医学研修の後、健康管理センター部長としての7年間含め、平成30年まで勤務しました。この間、平成15年に、大内先生に声をかけていただき、東大病院で「女性総合外来」を立ち上げた時が、「性差医療」との本格的な出会いです。そして、天野先生の薫陶を受けた全国の女性外来担当医たちのネットワーク(性差医療情報ネットワーク(NAHW))でお会いした先生たちが、次のロールモデルとなりパワーをもらいました( リレーエッセイ の藤井先生、松田先生、小宮先生、片井先生など)。また、「女性外来での診療に役立つ」勉強会を、NAHW東京支部として荒木葉子先生、柴田美奈子先生と30回以上主催したことも良い思い出です。

 同時期に本学会の前身の性差医療・医学研究会がスタートしました。大内尉義先生が会長を勤められた第2回大会(平成17年)では、事務局を担当した古参です。この学会ではさらに、加藤庸子先生がそのエネルギーで作られたアカデミックキャリア委員会で、ロールモデルと呼ぶには遠すぎる感のあるパワフルできめ細やかな女性医師にお会いしています。

 昨今、医局に所属しない医師が増えていますが、私の医師人生は、医局での出会いなくしては考えられず、「老化」に加えて、常に「性差」の視点がありました。そして、性差医学・医療、本学会を通じての交流は、かけがえのない財産となっています。

 さて、2021年2月6,7日に開催予定の第14回性差医学医療学会では、「人生100年時代の性差医学・医療」をテーマに、秋下雅弘会長の元、副会長を担当させていただきます。Web 視聴のみとなり、みなさまとは直接お目にかかれず残念ですが、距離と時間とコストのハードルが低くなり、より多くの皆様に参加していただけるのではと期待しています。多くはオンデマンド配信もあり、同時刻のプログラムを両方視聴していただくこともできます。性差医学医療認定医、指導士取得のための講座もあります。奮ってご参加ください。


〇〇〇〇年 大学院卒業式当日の写真。大内先生の教授室で。


〇〇〇〇年 老年医学研修最終日、Ronald I. Shorr先生と息子と。
Gainesville, Geriatric Research Education and Clinical Center(GRECC)


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第13回(2020.12.21)

ヒトの縁

東北大学大学院医学系研究科循環器内科学分野教授
日本性差医学・医療学会理事
安田 聡

 2020年8月 国立循環器病研究センター(国循)から東北大学に異動いたしました。皆さま 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。さて私の専門は循環器病学でありますが、性差医療には ヒトの縁によって導かれたといっても過言ではありません。

 国循のCCU(集中治療室)スタッフとして昼夜 急性心筋梗塞などの重症症例に対して冠動脈インターベンション(PCI)を行っていた時代がありました。胸痛を訴え広範なST上昇があり急性心筋梗塞と診断し冠動脈造影検査を行っても冠動脈閉塞は認めない、しかしながら心尖部を中心とする広範囲な左心室の収縮低下とそれを代償する心基部の過収縮という特徴的な左室壁運動異常を呈する症例に遭遇するするようになりました。多くは高齢女性の患者さんであり、病歴を伺うと日常とは異なる出来事をきっかけに胸痛を自覚するという特徴がありました。これが今でというところの「たこつぼ心筋障害」です。当時の国循病院長は友池仁暢先生(日本性差医学医療学会名誉会員)でした。友池先生は冠循環の調節機構に関する基礎研究、心筋梗塞に対する再灌流療法の基盤となる基礎研究を行われてきた世界的な研究者でした。「たこつぼ心筋障害」の機序はなかなか従来の考えでは説明がつかないもので、院長回診の際にこのような症例に対して大変興味を持たれておられました。症例を通して友池先生とお話しする機会ができ、病院長室へ足を運びますと、ソファにハリソン内科学(原著)がおいてあり目を通されているお姿が院長室の風景でした。2007年に友池先生が著者の御一人として「たこつぼ心筋障害」診断に関するガイドライン (Circ J. 2007 Jun; 71(6): 990-2.) がまとめられ、以降性差医療の分野でも注目されるようになったことはいうまでもありません。

 友池仁暢先生に推薦状を書いていただき 2006年~2011年 東北大学循環器内科下川宏明先生(日本性差医学医療学理事長)のもとで研鑽をつみました。九州大学において友池先生のもと 学位指導を受けられたのが下川先生というご関係でした。東北大学では、冠動脈の機能的異常(冠動脈攣縮)や微小循環障害など 重要な疾患概念に関する 多くの基礎および臨床研究に携わる機会をいただきました。更年期以降の女性に多い「微小血管狭心症」ですが、胸痛の持続時間が長く(20-30分)、労作時にも安静時にも生じ、みぞおちや肩などの痛みとして感じるなど 狭心発作としては必ずしも典型的ではないなど 症候から疾患を疑うことが難しいという特徴がありました。原因不明のまま長年困っておられる患者さんが全国から下川先生の外来にこられ、検査にて「微小血管狭心症」の診断にいたることを目の当たりにし、冠循環という仕組みの奥深さを学びました。そして、下川先生にご推薦いただき 日本循環器学会「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」 (2010年発刊:鄭忠和班長 日本性差医学医療学会名誉会員)の研究協力員としてその作成に携わりました。私の場合、性差という普遍的かつ重要な課題に取り組まれてきた先生方に導かれてここまできました。領域横断的なこの学会でも 「ヒトの縁」を大切にして取り組んで参ります。今後とも何卒ご指導の程宜しくお願い致します。



性差医学・医療に導かれ、振り返り思うこと

福島県立医科大学附属病院 性差医療センター 教授
日本性差医学・医療学会 評議員
小宮 ひろみ

 私と性差医学・医療との出会いですが、天野惠子先生と福島県立医科大学産婦人科学講座 前教授 佐藤章先生が導いてくださいました。2004年、「本院に女性外来を立ち上げるかどうか」を検討するにあたり、佐藤先生が天野先生に連絡をされたところ天野先生から段ボール箱いっぱいの資料が届けられたと後に佐藤先生から伺っております。両先生のご指導のもと福島県立医科大学附属病院に「女性外来」が設置されました。2008年、「性差医療センター」として拡大し、現在も診療を継続することができております。佐藤先生は、2010年6月ご逝去されました。天野先生は本学の「性差医療セミナー」、「性差医療」の医学部学生講義のため毎年、来県いただいております。両先生は私の恩師であり、心から感謝しております。

 私は山形大学医学部を卒業し、卒後2年目で出産、仕事と子育ての両立を余儀なくされました。現在ほど、種々の支援はありませんので、子供の成長は喜びでありましたが、両立は辛かったことを覚えております。自分のキャリア形成など考える余裕など全くありませんでした。仕事にも子育てにも中途半端な思いを感じておりましたが、恩師である荒木慶彦先生(現 順天堂大学大学院医学研究科 性差・環境医学研究所 副所長)が私に基礎研究してみないかと言ってくださいました。「卵管特異的糖蛋白質の解析」で学位をとり、受精現象について研究し、基礎研究の楽しさを学びました。午前4時まだ子供が寝ている間にラットの精子調整の準備を行い、自宅に戻るというかなりきわどい生活をした時期もありました。大変ではありましたが、今となっては充実した時間だったと感じております。その後、アメリカのベイラー医科大学 分子細胞生物学部門 Bert. O’Malley博士のポスドクになることができました。3年半でありましたが、息子をつれて、2人でヒューストンに移住しました。エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、ステロイド受容体共役因子などの研究に従事し、性ホルモンに魅せられ有意義な日々を過ごしたと感じております。ベビーシッターの力もかり、仕事と子育ての両立も何とかなりました。アメリカの合理的な育児を垣間見ることができたことも有益だったと思います。性差医学・医療と性ホルモンは切り離せませんので、この時期も大切な時期だったと思い返しております。

 最後に性差医療センターについて述べさせていただきます。開設時に、診療の充実、予防医学的観点の重視、性差医療を医学教育に組込むこと、漢方医療の充実、スタッフの確保、男性外来の設置という目標をたてました。男性外来設置以外については少しずつですが、達成できているのではないかと自負しております。性差医学・医療に導かれ、多くの先生方と知り合うことができました。すばらしい先生方との出会いに心から感謝しております。性差とライフステージを考慮していくことは、どの診療科でも重要であることは認識されつつあります。性差医学・医療がさらに普及していくことを祈りつつ、私自身も研鑽してまいりたいと思います。


大学時代 軟式テニス部に6年間所属。コートを駆け回っていました。


第4回福島県性差医療セミナーの風景 佐藤章先生(向かって最左)、天野惠子先生
(向かって左から2番目)にもシンポジストとして登壇いただきました。筆者が座長です。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第12回(2020.12.01)

「性差医学・医療」との出会いと今後への期待

山口大学 名誉教授
日本性差医学・医療学会 理事
松田 昌子

 私は生まれも育ちも山口県、大学も山口大学で、山口の外に住んでことがないローカル人間でしたが、大学卒業と同時に、既に米国行きが決まっていた夫に従い、オハイオ州クリーブランドという町で、24歳から29歳までの5年間を過ごしました。最初は2年程度と考えていた夫の留学期間が結局5年になり、長男と二男が生まれ、その間にMt. Sinai Hospital in Clevelandの循環器内科の検査部門で2年間勤務しました。多民族国家である米国で社会人としてのスタートをきったことは、私の中に米国の個人主義的思考が植え込まれ、また、米国の医療を医療提供者側と患者側と両方から見た経験は、日本の医療を考える時、常に比較する対照があるということから、若かった私を育ててくれたのは米国だったように思います。

 渡米前は、将来の入局先は消化器内科と決めていましたが、米国の病院での2年間の経験は、私を循環器の面白さに目覚めさせ、また、5年遅れで臨床トレーニングを始める身には帰国後の復職は“一日の長“たる経験のある循環器内科入局しかありませんでした。大学病院で循環器及び呼吸器診療に携わって9年が過ぎた頃、39歳の時に、同じキャンパスにある医療短大(現在の医学部保健学科)の先輩から誘われ、生理学系科目担当の教員として移籍しました。医療短大では、教育担当時間が多く、管理運営に関わる役職も多く、帰宅はいつも20時より早いことはありませんでしたが、自分の裁量範囲が広がり、教授職になってからは、それまで見えなかった大学組織の全体像が視界に入り、仕事もおもしろく、定年退職するまで在籍することになりました。

 1回目の渡米から約20年後の1994年、文部省(現在の文部科学省)の在外研究員として米国に留学する機会に恵まれ、前に勤務していたMt. Sinai Hospitalのリサーチ部門のDr. M. N. Levyの研究室に留学しました。当時は血管内皮由来弛緩因子、一酸化窒素(NO)が同定された頃で、NOを介して働くエストロゲンの血管拡張や抗動脈硬化作用が実験的にも臨床的にも脚光を浴び始めていました。この研究室でも、雌ラビットの閉経モデルを作り、摘出心で冠動脈血流へのエストロゲンの影響をみる実験を進めていて、私もこのグループに加わることになりました。短期間でしたがこのラボでの経験が、私とエストロゲンとの初めての出会いであり、後に性差医学へつながる端緒となりました。

 この留学から帰国後、動物実験ではエストロゲンと血管、臨床では中高年女性の予防医学をキーワードに活動していましたが、2003年に山口大学で女性外来が開設されることになり、さらに天野恵子先生との出会いにより、私の進む方向は一気に性差医学・医療、そして女性外来へと走り始めました。女性外来では、総合診療に加え、更年期医療、心療内科や漢方療法などの広い知識、さらに傾聴と共感を基本とする診療スキルなどが求められ、開設初期にはずいぶん苦労した記憶がありますが、性差医学・医療学会の学術集会では、他の学会にはない領域横断的な様々なテーマが取り上げられ、診療の参考になりました。2011年に第4回学術集会を主催させていただいたことは、私のアカデミック・キャリアの中でも最も貴重な経験のひとつでした。唯一悔いが残るのは、自分に続いて女性外来を担ってくれる人を育てることができなかったことで、今年3月、私の女性外来退職に伴い、山口大学の女性外来は17年の幕を閉じることになりました。しかし、その間に診療に携わった多くの女性医師の中に、患者と医師の関係に思いを致し、対話を重視する診療という種をまいたと信じています。

 「教育・研究」と「診療」の次に私に与えられた仕事は女性医師のキャリア支援で、ライフ・イベントのための女性医師の離職防止と適切な評価によるキャリア・アップを目標に掲げ、2008年から山口県医師会「男女共同参画部会」、2015年から山口大学医学部附属病院「医療人キャリア支援室」で活動してきました。最近10年余りの間に制度や環境は急速に整ってきましたが、これからは、それらがうまく運用され、目標を達成できるよう、時間をかけて、人や社会の意識を変えていく必要があります。日本性差医学・医療学会のように多分野の医療関係者から成る組織は、学術的発展と社会的ダイバーシティの推進との両面の役割が期待されると考えます。


昭和47 年九州山口医科学生体育大会(九山):6年生になって初めて卓球女子シングルス優勝を果たした時です。(1972年)


Dr.V.R.Zagrosekと:2008年2月日本性差医学・医療学会第1回学術会議(東京)にて。2002年にヨーロッパの女性医療の視察目的でベルリンを訪れた時が初対面で、2003年に山口で開催したシンポジウム「Gender-Related Medicine in New Era」にもスピーカーとして参加してもらいました。以来、彼女は国際性差医学会の中心で活躍中です。



女性循環器科医が性差医療に出会って

東京女子医科大学保健管理センター学生健康管理室 准教授
日本性差医学・医療学会 評議員
横田 仁子

 今回、バトンを受けました。私は大学卒業後、細田瑳一教授の循環器内科学教室に昭和63年に入局して、すぐに笠貫宏先生の不整脈班の病棟勤務でした。カテ室での電気生理学検査(HIS束心電図)、不整脈誘発、病棟での薬物効果判定(フレカイニドやアミオダロンの治験)、外科術前、術後患者の病棟管理等忙しい日々でした。循環器領域における性差といえば、大動脈疾患と冠動脈疾患は男性に多く、弁膜症は女性に多く、病棟によって大部屋の数に性差がありました。国立横浜医療センター、都立府中病院の出張中も、臨床での性差といえば、女性の心臓病の診断や治療が困難、女性特有のライフイベントに影響があり、配慮が必要でした。心室頻拍発作中に子供を出産した不整脈の女性。出産後に原発性肺高血圧症が悪化し不幸な転帰を遂げた20代女性。弁膜症手術日に合わせた月経調整。結婚や出産に制限があった先天性心疾患の女性。先輩から弁膜症女性の出産は割と軽いのよと口頭伝授されました。一方で、冠動脈疾患や胸痛において、女性は軽視されていたのは事実です。運動負荷心電図で虚血変化を示すにも関わらず、血管造影で異常なしという症例が散見されましたが治療はせずに問題なしとしていました。

 臨床経験を積んだ後、学位のために川名正敏先生の第3研究室に所属し、血管内皮細胞のエンドセリンに関する転写の研究開始です。テーマはレチノイン酸によるエンドセリン遺伝子の転写調節でしたが、この時に、エストロゲンレセプターの存在を知り、レチノイン酸と並行してエストロゲンも実験してみますが、なかなか結果が出ず女性ホルモンの複雑さを知りました。同時に臨床では一般病院で内科医して働き、高齢者の肺炎、心不全管理と循環器は年に数回来院される急性心筋梗塞を近くのCCUのある病院へ転送する程度です。心電図で胸部誘導ST上昇を認め、急性心筋梗塞疑いで送ってもたこつぼ型心筋症との鑑別は必須でした。基礎研究も臨床もなかなか順調とはいきませんでしたし、高齢女性の不安定狭心症疑いが夜間急変した苦い経験もありました。

 ちょうどそのころに、天野恵子先生が女性の虚血性疾患の講演をされ、性差医療を加味した女性外来が始められたことを知ります。自分も次は何をしようかと思っていた時に、母校でも女性外来が開始され循環器医師も必要ということで働くことになります。ベルリンでの第1回国際性差医療学会にポスター発表をさせていただき、女性外来、性差医療へ足を踏み入れたのです。この時、当学会理事の片井みゆき先生と20数年ぶりの再会もあり仲間いりさせていただきました。ウィメンズヘルスへの関心も深まりまして、オーストラリアメルボルンへ留学となりました。

 今は、若い女性の健康管理が主な仕事ですが、月経関連、メンタルヘルスに加え、動脈硬化の予防として、脂質異常、甲状腺異常、耐糖能異常、多嚢胞性卵巣症候群の早期発見に心掛けつつ、学生へ健康教育を行っております。女性外来で、女性の心臓病として、微小血管狭心症も扱っています。最近は微小循環を専門にする循環器科の後輩もいて、連携を取りやすくなりました。性差を加味した、循環器治療も今後は益々発展してゆくと思われます。基礎から、臨床までどの領域においても考えなくてはいけなく、今後は多様化にも応用されなくてはいけないようです。次にバトンを渡せるように、教育という形で性差医療を広めようと活動をしております。


1985年スキー部東医体優勝の時。カップを持っているのが筆者。


国際性差医療学会での発表:左は第7回ベルリンでのポスター(2015年)・右は第9回ウィーンでのシンポジウム、下川先生司会(2019年)



人との出会いで導かれた性差医学の世界

岡山大学病院ダイバーシティ推進センター センター長・教授
日本性差医学・医療学会 評議員
片岡 仁美

 私が性差医療に出会った切っ掛けは2冊の本と素晴らしい先生方との出会いである。糖尿病専門医として臨床、研究に従事していたが、2003年に設立された総合診療内科に移ることになった。同科の小出教授が下さった1冊の本が天野恵子先生編著の「行き場に悩むあなたの女性外来(亜紀書房2006年発刊)」である。性差医療の歴史から臨床事例集まで、非常に充実した内容であった。特にその中でも「微小血管狭心症」の概念に強い印象を持った。

 さらに、性差医療への道を決定づけたのは女性医師支援に取り組んだことである。2007年に文部科学省の医療人GP(地域医療等社会的ニーズに対応した医療人教育支援プログラム)のテーマが「女性医師・看護師の離職防止・復職支援」であることが発表され、プロジェクト立案を任された。当時34歳、同世代はまさに仕事と家庭との両立に直面していた。私は同世代の声を集め、皆の思いを込めたプロジェクトを書き上げて応募した。その際片井みゆき先生著の「女性医師としての生き方―医師としてのキャリアと人生設計を模索して(じほう2006年発刊)」を読み、片井先生に是非お会いしたい、と思い御連絡を差し上げたのが片井先生との出会いである。プロジェクトは無事採択され、私はそれをきっかけに女性医師のキャリア支援に取り組むことになり、現在で13年目になる。また、九州大学では樗木晶子先生が医療人GP採択のプロジェクトリーダーとなっておられたことも素晴らしい出会いであった。

 プロジェクトによって岡山大学病院の女性医師比率は当初の18%から現在の27%まで上昇し、すべての診療科で女性医師が活躍するようになった。離職せずにキャリア構築できるようになった先には、患者さんへの還元がある。女性医師ならではの貢献、ということを考えたときに女性外来の設立が浮かび、2012年に岡山大学病院に女性外来内科を設立した。女性外来設立にあたり、我々自身も学ぶ必要があると考え、 片井みゆき先生には「性差を考慮した医療-女性専門外来の取り組みから-」という演題で御講演をいただいた。また、山口大学の松田昌子先生の外来を見学させて頂くなど、多くの先生方の御力を頂いた。女性医師キャリア支援を通じて加藤庸子先生との出会ったことも特筆すべき出会いである。2012年の日本脳神経外科学会にお呼び頂き、岡山大学の取り組みを紹介させていただいたことを契機に、加藤先生には本学会のアカデミックキャリア委員会などでも大変お世話になり、心から敬愛している憧れの先生である。

 また、NHKのドクターGに出演した際には自分の中で非常に印象深い疾患である「微小血管狭心症」を取り上げた。その際には天野恵子先生に多くの御指導を頂いた。私が一人目の微小血管狭心症の患者さんに出会ったとき、天野先生の本を通してこの疾患に強い印象を持っていたため、すぐにピンときた。このような形で私は本に導かれ、また素晴らしい先生方に導かれ、性差医療の世界に出会った。性差医療は女性の一生に寄り添う医療である。40代で自身も出産も経験したが、何より自分の女性としての人生経験そのものが患者さんの診療に反映できることのありがたさを感じている。そして、性差医療の豊かさは自分が学生の頃から目指していた「病気ではなく人を診たい」という思いにピッタリと合致しており、この領域に従事できることの幸せを感じている。まだまだ人としても医師としても発展途上であるが、さらに貢献できるよう努力していきたい。


医学部6年生臨床実習中 全人的な医療を目指したいと思っていた


2018年性差医療学会学術集会のパネルディスカッションで。向かって一番左が筆者。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第11回(2020.10.28)

「奥が深い性差 — 医学・医療から男女共同参画まで」

(財)健康医学協会 東都クリニック
元東京女子医大消化器内科学講座 教授
日本性差医学・医療学会 理事
白鳥 敬子

 この度、リレーエッセイの執筆をきっかけに、改めて性差医学・医療への関わりを振り返ってみました。消化器内科医として長年、消化器疾患の研究や診療に携わってきましたが、性差の重要性を認識するようになったのは約20年前かと思います。日本消化器病学会の女性医師有志で女性医師支援を目的に「日本消化器病学女性医師・研究者の会」を2002年に立ち上げ、私自身は2代目の代表世話人を務めました。消化器病学会で女性医師の支援活動をしていく中で、以前から知られる疾患であっても「性差」という視点で見直すことで、新しい知見が得られることに気づいた次第です。埼玉医大の名越先生が執筆されたリレーエッセイに紹介されていましたが、2005年に「消化器病における性差医学・医療研究会」を立ち上げ、消化器病領域においても性差の重要性を認知してもらう活動を始め、初代の代表世話人も務めさせていただきました。本研究会は、現在、川崎医大消化管内科の塩谷昭子教授(代表世話人)に受け継がれ、「日本高齢消化器病学会」と合同開催するに至っております。「性差」と「年齢」という2つの切り口で、一歩進んだ個別化医療の実現を目指し年1回集会を開催しています。

 私が専門としている膵臓疾患に目を向けると性差の存在は確かにあります。例えば、慢性膵炎の成因では、男性はアルコール性ですが、女性は原因不明の特発性がかなり多いのです。アルコール性慢性膵炎で性差を比較すると、女性は男性よりも短い飲酒期間で慢性膵炎が進行し、死亡年齢も10年も若いことが知られています。これは、生物学的にも女性が男性よりアルコールに弱いことによるものです。女性の社会進出が進むにつれ、若い世代の女性の飲酒率が男性に近づいており、今や、アルコール飲料のテレビコマーシャルには若い女性タレントや女優が多数起用され、女性の飲酒率の増加に拍車がかかるのではと危惧されます。アルコールによる健康被害が起こりやすい女性達に向けた正しい情報発信の必要性を感じています。

 さて、2014年1月に第7回日本性差医学・医療学会学術集会を担当させて頂きました。この場を借りて、ご支援頂きました会員の先生方に改めて厚くお礼を申し上げます。会長講演では「男女共同参画の具現化に向けてー女性医師リーダー育成の重要性」というテーマで講演をさせていただきました。女性医師数は年々増加し、その裾野はかなり広がったと言えますが、出産、育児などのライフイベントのために、キャリアを断念せざるをえない女性医師がおられます。キャリアを継続しキャリアアップし指導的立場につく女性医師の数は、まだまだ少ないのが現実です。私自身、東京女子医大での在職中、女性医師に対しては、「スピードダウンでもいいから、とにかく続けること」、「何か一つ得意分野(技能・知識)を持つこと」、「専門医資格は貪欲に取得すること」、そして「自信を持つこと」などを伝えてきました。性差を主軸とする本学会の活動は、広く社会に向けた男女共同参画の推進にも貢献しており、より一層の発展を期待するところです。


第7回日本性差医学・医療学会学術集会(2014年)の懇親会にて。
左から順に鄭忠和先生、加藤庸子先生、天野恵子先生、筆者、下山宏明先生です。


1982年の国際消化器病学会(ストックホルム)でのポスター発表で、隣のポスターの先生との写真です。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第10回(2020.9.29)

「性差薬学」を目指して

静岡県立大学薬学部生体情報分子解析学分野 教授
日本性差医学・医療学会 理事
日本薬理学会 編集委員・国際交流委員
黒川 洵子 (Junko Kurokawa, Ph.D.)

 私は東京郊外で育ち、中学からは都心の女子校に通った。得意科目は、数学と国語。英語は大の苦手。科学の力で人々の役に立ちたいということで、早いうちから理系と決めていた。でも、進路を決めるには、高校の勉強では情報量が少なすぎると感じていて、大学入学後に専攻を決めるシステムの東京大学を目指した。理科は物理・化学を選択したが、中学生物の授業で「岡崎フラグメント」の精緻なシステムに感動したことが忘れられず、生物系がある理科Ⅱ類に進んだ。東大の教養2年間は、バイト・趣味などいろいろ体験する中で、自分は何をしたいのか、じっくり考えることができた。考えた末に選んだ薬学部に迷いはなかった。最近の大学生にはこういう時間はあるのかな?と、膨大なカリキュラムをみて心配になる。

 東大薬学部では、ジルチアゼム開発者の長尾拓先生が主宰する毒性薬理学教室に所属した。ノーベル賞受賞の対象になったパッチクランプ実験の面白さにとりつかれ、教室の歴史で女性初の課程博士取得者となった。卒後は、とある論文の著者に長いレターを書いたところ、心筋イオンチャネルの大家Robert S. Kass先生からお誘いのFAXがきて、ポスドクとして米国コロンビア大学に留学した。留学先では、カリウムチャネル分子複合体が、心電図QT間隔の交感神経系調節に関わる分子機構を解析した。臨床医達とのディスカッションから、先天性不整脈症候群患者における運動時の心イベントリスクを説明できると分かったときは、「役に立つ」実感に大変興奮した。アメリカでは、専門性、出身国、男女、人種、宗教などのあらゆる多様性から生じる意見の相違が尊重され、自分の意見を発言することが常に求められたので、英語への苦手意識はいつの間にか消えた。自分からの発言で後に引けなくなったこともあり、研究職を一生の仕事にする覚悟を決めた。

 2004年、循環器内科医の古川哲史先生が主宰する東京医科歯科大学難治疾患研究所の教員として帰国し、心筋イオンチャネルの研究を継続した。薬学出身の私が「性差医学」に着目した直接的なきっかけは、平成20年度文科省技術振興調整費「女性研究者支援モデル育成」の委託事業で、荒木葉子先生からご指導いただいたことである。子育て中という立場から性差医学・医療セミナーの担当を拝命し、天野恵子先生やVera Regitz-Zagrosek先生や上野光一先生から、直接お話を聞く機会を得た。当時、私は、心電図QT間隔の男女差と性ホルモン受容体シグナルとの関連を解析していたので、性差医学関連の学会にも参加するようになり、この分野に将来性があると確信し、薬物療法における性差を一生のテーマにしようと思うに至った。

 2016年に静岡県立大学薬学部教授に就任し、「性差薬学」を標榜し、現在、薬物療法における性差に関わるイオンチャネル制御の研究を行っている。これまでご支援、ご指導くださった多くの先生方のおかげで現在がある。その感謝の気持ちを忘れず、人々の健康増進に貢献するための基礎研究に精進し、後進を育成したいと考えている。


学生時代に熱中したこと。茶道のお点前は、科学実験の所作と通ずるところがある。


東京医科歯科大学時代に性差医学へ導いてくださった荒木葉子先生(中央)と三高千恵子先生(左)との会食シーン。筆者は向かって右。(2016年)



「私と性差医学の遍歴」

 カレスサッポロ北光記念クリニック所長
日本性差医学・医療学会 理事
佐久間一郎

 私が性差医療との出会いは、1994年のAHA(アメリカ心臓学会)である。その年のAHAの話題の3分の1は、PEPI Studyの結果であった。それまで、ホルモン補充療法(HRT)は虚血性心疾患(IHD)を減少させるが、CEEとMPAを用いると、MPAがHDL-Cを低下させ、IHD減少効果を阻害するという懸念があった。しかしPEPI Studyで、MPAはHDL-Cの減少させないことが証明されたのである。

 これほど米国で話題となったPEPI Studyだが、日本に戻ると循環器内科では全く話題にならなかった。米国では女性ホルモンのRCTは、循環器の学会や学会誌、または一流誌で発表される。当時の米国では、一番処方されていた薬剤は甲状腺末で、2番目がCEEであり、一般医がHRTを行うのである。そのため、私は同級生の産婦人科医にHRT法を習い、北大病院の循環器内科外来で行うようになった。

 若槻明彦先生や河野宏明先生との出会いも、HRT製剤のプロマネであった、現在HAP理事長の宮原富士子さんが開催した研究会である。その際、若槻先生のHRTと凝固系の論文が初めてCirculationに受理され、お祝いをしたことを覚えている。

 1998年からは、東大老年科の大内尉義教授が主任研究者となって開始された、厚生科研「高齢女性の健康増進のためのホルモン補充療法に関する総合的研究」に分担研究者として加えていただいた。この研究は日本にHRTを広めることを目的とした研究で2005年まで続いた。

 20年ほど前、日本心臓病学会のシンポジウムで、天野惠子先生が「更年期女性の胸痛」についてシンポジストとして講演された。内容は天野先生の高校の同級生で、「胸痛」を訴える女性が多いというものであった。その少し前、米国NIHのCannon教授が「微小血管狭心症」を提唱し、その臨床研究は下川宏明先生も開始されておられたが、私も北大でカテ班に依頼して30症例ほど、かなり大変で大掛かりな診断カテを行った。その結果、現在北海道では私が「微小血管狭心症」の専門医ということになっている。

 その後、Cannon教授は「微小血管狭心症」には抗うつ剤が効くので、そのような疾患はないという論文を出したが、「微小血管狭心症」ちゃんと存在する。ちなみに、Cannon教授の教室でHRTと凝固線溶系を研究していたのが、韓国Gachon大学循環器内科のKwang-kon Koh教授であり、私と彼とは現在も脂質代謝系の共同研究を続けている。

 また、微小血管の内皮依存性弛緩にはEDRFのみならず、EDHF(過分極因子)も関与するが、下川先生・野出孝一先生と私は一時「EDHF研究会」を開催していた。

 私は、男女更年期外来を行っているが、今でも婦人科や泌尿器科の講習会で、毎年講習を受けている。

 私はNOが内皮細胞でL-アルギニンから生成され、EDRFとして作用することを証明した(1988年)が、PDE5阻害薬の専門家で、日本性機能学会専門医・テストステロン治療認定医でもあり、毎月50名ほどにアンドロゲン補充療法(ART)を行っている。

 また、女性の胸痛や更年期障害について、必ずその障害の原因を患者に説明できる医師として、携帯で調べると出て来るそうであり、毎日種々の年齢の女性の新患が来ている。

 ちなみに、最近一番多い胸痛の原因は、以前から首・肩や背中の凝りがあり、マッサージや整体に通っていた患者が、コロナ禍で数ヶ月間行かなくなり、その結果の筋肉が拘縮し、肋骨が軋んで起こる胸痛である。

 また、冠攣縮性狭心症や労作性狭心症を疑う女性にはニトロールを持たせるが、その際には、必ず一度、病院のベッドで「お試し舌下服用」をすべきである。1年間で2~3名、血圧低下でショック状態となる女性がいる。


2014年の私と、韓国Gachon大学循環器内科教授のKwang-kon Koh先生と、帝京大学臨床研究センター長、日本専門医機構理事長の寺本民生先生との写真


私の大学3年生の時の高校時代の同級生との四国旅行の写真(なお、左から2人目は大野英男東北大学総長(東大卒、物理学名誉教授)、3人目は宝金清博北海道大学学長(北大卒、脳外科名誉教授)、4人目が私です)私の札幌南高校の同級生は、2名が旧7帝大の学長・総長となっているのです。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第9回(2020.8.26)

「私のアカデミア人生 ~導かれるままに与えられた仕事をやり通す~」

伊東昌子 MASAKO ITO
放送大学長崎学習センター 所長(教授)
日本性差医学・医療学会 理事

 私は放射線診断学を専門として、研究にはX線・CT・MRI等の画像を駆使して骨粗鬆症の病態解析や、種々の骨粗鬆症治療薬の薬効評価を行ってきました。放射線科医には異色の研究領域です。骨の研究を始める契機は単純で、X線を用いる骨密度測定という当時のトピックが私に割り当てられたことによります。放射線専門医を取得後、2回目の出産を終えてからの、研究者としてはかなり遅いスタートで、しかも自力で試行錯誤しながらゼロからのスタートでしたが、それでも偶然に巡り会った研究テーマに感謝し、マイクロCTや放射光CTで観察する骨微細構造の神秘さと美しさに魅せられて、ワクワクしながら研究を継続してきました。当初は学位論文で終了という研究でしたので、ここまで私が没頭し継続するとは誰も予想していなかったことだと思います。

 そんな私に再び研究者としての新たな道が示されました。平成24年に長崎大学病院にメディカル・ワークライフバランスセンターが開設されることになり、そのセンター長・教授を拝命し、さらに平成26年からは全学の長崎大学ダイバーシティ推進センター教授・副学長を務めることになりました。新しい領域に挑戦することになったのも、流れに逆らわずに、ただ目の前の仕事を淡々とやっているうちに、そうなったと思っています。

 そして、昨年4月から放送大学長崎学習センター所長として、また新たな展開が始まりました。定年退職前の移籍でしたので、まだやり残したことはありましたが、これもこれまでの流れと同様に導かれるままに、求められるところへ行くべきなのだろうと考えて、移籍を決心しました。

 放送大学の学生の多くは社会人で、人生を充実させる学び、つまり自分の教養、キャリアのステップアップ、資格取得など、様々な目的で学んでいます。学生の年齢・背景・学習目的も多様です。私のゼミの学生のほとんどは私より年上ですので、学生さんから学ぶことも多く、その刺激は私の学びのモチベーションになっています。放射線科医師、研究者、支援センター開設と運営、副学長としての経験、それらを今の自分に活かして、できる限り多くの方と出会っていきたいと思っています。

 性差医学との関わりは、骨粗鬆症は女性に多い疾患であり、そのメカニズムは明白ですが、さらに骨の構造や力学特性の性差に興味があったことによります。この学会のアカデミックキャリアも、私が取り組んできた女性研究者、女性医師にもっと能力を発揮してもらうためのシステム作り、意識改革と連動していますので、私に多くを教えてくれる学会です。

 趣味は海外旅行・美味探索旅行という私には、新型コロナウイルス感染症は大きなストレスです。しかしコロナで学んだニューノーマルも自然に受け止めることで、さらにダイバーシティを加速させる、ワークライフバランスを充実させる、自分の思考を変える、できれば自己実現に繋げる可能性があることに期待しています。


師と仰ぐUniversity of California, San Francisco 放射線科名誉教授 Harry K. Genant先生と。第27回日本骨形態計測学会(会長:伊東昌子、2007年、長崎県ハウステンボスで開催)にて。


長崎大学退職のタイミングで出かけたサントリーニ島での写真(2019年)



「性差医学と私」

佐賀大学医学部内科学講座 主任教授
日本性差医学・医療学会 理事
第15回日本性差医学・医療学会学術集会 大会長(2022/2開催予定)
野出 孝一

 今から25年位前、大阪大学大学院生の頃、何気なく電車の中吊り広告を見ていましたらアエラか何かの雑誌に Women’s Health 特集が組まれていたのが目に留まりました。当時から米国心臓協会(AHA)は性差医療の重要性に気づいて大統領夫人を学術集会に招聘しキャンペーンを行ってているのもみてAHAの先進性に感心しました。若年女性は男性に比し虚血性心疾患、高血圧、脂質異常症が少なく、閉経後に生活習慣病や循環器疾患が増加しますが、臨床の場でもそのことは実感していましたがその理由は考えたことはありませんでした。女性ホルモンや男性ホルモンと心血管系のクロストークが関与していることはわかっていましたが、虚血再灌流障害や冠循環の研究をしていましたので、その理由を生理実験で確かめたくなりました。論文を調べると17βエストラジオールに急性効果があることがわかったので、17βエストラジオールの冠動脈拡張や心筋虚血に対する作用を検討したところ、その改善効果がNOやEDHF(血管内皮過分極因子)を介することがわかりました。麻酔開胸犬で17βエストラジオールを冠動脈内投与して数分で冠動脈が拡張するのをみて驚いたことを鮮明に覚えています。米国に留学してからも血管炎症や心肥大に対するエストロゲン効果の研究をしようと思いましたが、イタリアから留学していたSimoncini先生が既にその実験を始めていたので、私はエストロゲン以外の研究をすることになりました。 Simoncini先生はエストロゲンの急性効果にエストロゲン受容体αやPI―3キナーゼ・AKTシグナルが介することをNATURE誌に発表し、帰国しました。イタリアは徴兵制が敷かれている中でその業績のおかげで彼は兵役を免れることになりました。その時、留学先研究室のボスがイタリア政府当局と掛け合ったと聞きました。今はピサ大学教授をしています。

 米国から帰国後、大阪大学病院で産婦人科の倉智先生や大道先生と知り合い、一緒に産婦人科の更年期外来をさせて頂くことになりました。患者さんの血圧や心エコーをとると、更年期症状の一部に拡張不全や仮面高血圧が隠れていることに気が付きました。拡張不全は高齢女性に多いですがその理由としてエストロゲンが低下することにより、心肥大、心筋線維化が進み、微小循環障害が影響すると考えています。

 基礎研究では、大規模臨床研究でホルモン補充療法が心血管イベントを抑制せず、むしろ血栓を増加させることが発表されたのでターゲットは選択的エストロゲン受容体活性化薬(SERM)に絞りました。同じ研究グループの扇田久和先生(現 滋賀医大薬理学教授)がラロキシフェンによる心筋梗塞サイズ縮小効果をHypertension誌に報告しました。それ以降はエストロゲン研究からは遠ざかっていますが、日本循環器学会や日本高血圧学会でダイバーシティ関連の委員会活動をすることも多く、生物学的多様性や文化的多様性という観点から行ってきた性差医学、性差医療は多いに役立っています。

 カナダのビクトリアで開かれた会議や東大の秋下先生や愛知医大の若槻先生らとエストロゲン関係のシンポジウムに参加しソウル観光したことも楽しく懐かしい思い出です。

 現在、MENS HEALTH学会の理事もさせて頂いていますが、こちらの方はテストステロンと心血管系の関連で泌尿器科の先生との関係が深く、性差医学、性差医療活動をさせて頂いたおかげで他科の先生方と多くお知り合いになれたことは嬉しいことです。

 2022年には日本性差医学・性差医療学会を主宰させていただく予定ですのでどうぞ宜しくお願い致します。



「男性医学の父、熊本悦明先生」

順天堂大学大学院医学研究科泌尿器外科学 教授
日本性差医学・医療学会 理事
日本Men's Health医学会、日本抗加齢医学会 理事長
堀江 重郎

 私の男性医学への道を啓いていただいたのは、熊本悦明先生です。

 熊本先生のお名前は、学生時代の日本医事新報ジュニア版で知っていました。男性が医学のnormであった中で女性医学が提唱されつつある中に、あえて男性医学を始めた熊本悦明先生の「男性医学事始め」の記事を記憶しているということから、「男性医学」に漠然と興味があったのだと思います。どちらかと言えば文系思考なので、在学中は精神科に興味を持ち、統合失調症の研究などを読みふけっていたのですが、当時の閉鎖病棟で20年30年入院している患者を目の当たりにして、これはなかなか厳しい環境だとあきらめてしまいました。医学部を卒業するにあたり、当時研究手法に優れた腎臓学に魅かれながらも、こまごまとした研究室に棲息する東大の内科の先生方になじめる気もせずに1年間救急医療で研修医をしたのちに、移植医療を始めるということと、海外留学にすぐ行かせてあげるという人参にひっかかって泌尿器科に進みました。東大の泌尿器科は、まさに分泌を扱う科として、内分泌学会の発足当初には、学会を主催したこともあり、外科半分内科半分のようなところがありました。熊本先生は35歳で札幌医大の教授になられていたので、もちろん医局にはおられませんでしたが、熊本先生が始めたホルモン外来なるものがあり、副腎性器症候群やクラインフェルター症候群などの患者が多く来院していたのを横目で見ていました。熊本先生はなにしろ逸話の多い先生で、上野のデリーという激辛カレーがお好きで、バケツに一杯分のカレーのルーをお店から医局に運んで医局員にふるまったとか、また学生時代からすでに立派な男性型脱毛症で、新人の熊本先生が教授と間違えられるくらい貫禄があった、とか学会でもとにかく声が大きく、今風に言えば「圧」の高い先生だったのを記憶しています。私は米国で研究と腎移植の臨床をして帰国し、「腎臓班」ということで、移植と研究に充実した時間を過ごしていましたが、教授が変わって「もう移植はやらないよ」ということで外の病院に出て臨床三昧の生活を送るようになりました。この間外勤で東京顕微鏡院というところにお邪魔していたところ、経営者でジャーナリストの下村満子さんが、女性の更年期外来を熱心にやっていたこともあり、見よう見まねで男性の更年期障害を勉強し始めたところ、熊本先生から注目いただき、何しろ中高大学の後輩なので、目をかけていただきました。熊本先生の薫陶を受けることができたのは私の人生で最良の出会いであったと思います。その頃の熊本先生は、食事はまず肉とワインか、ピザとビールといった脂肪に富んだものばかりで、しかも話し出すと止まらないので、熊本先生が息継ぎをするときに、割り込んで2言3言話ができるという状況でした。2000年に、テストステロン補充療法の内服薬の治験の支援組織として、Aging Male研究会が熊本先生を中心に発足し、その後現在のMen’s Health医学会となりました。熊本先生は札幌医大時代に多くのユニークな研究を出されており、例えばテストステロンが行動活性を増進するといった、画期的なものもあります。

 私は2003年に帝京大の泌尿器科教室を主宰することになり、何しろ患者がいない、人もいないところから始めて、何か教室のコアバリューをいうことで男性医学を一つの柱とし、このときに米国UCLAからスカウトしたのが、井手久満先生(現獨協医大埼玉病院教授)で、もともとはoncologyの先生でしたが、男性医学に興味を持っていただき、ともに研究・臨床を行ってきました。

 今年還暦を迎え、医師35年の今、ハーフタイムとして振り返ってみると、泌尿器科では、退屈することなく新しい手術や薬剤で、患者の治療成績が劇的に変化するのを目の当たりにし、楽しい前半戦であったと思います。しかしいろいろなことに首を突っ込んだ挙句、結局は男性医学を終生行っていくことになりそうなのも、男性内分泌学の面白さでしょう。

テストステロンは基本「獲物を取って家に帰る」ホルモンだと考えています。生存に直接関係しませんが自己実現を図り、次世代にDNAを遺すのに重要なテストステロンへの興味は尽きません。

 今はテストステロンがどうゲノムに影響を与えるかにも興味を持って研究に取り組んでいます。またテストステロン補充療法の新しい剤型も開発し、これから臨床の場で広めていきたいと考えております。性差医学では、テストステロンの女性への作用も注目されています。

 最近男塾というYoutube番組を始めました。これまでの男性はストレスに克ち競争に勝つ生きかたを強いられてきましたが、むしろこれからは緩くテストステロンを生かす生き方を考えています。興味がある先生方ぜひご覧ください。


熊本先生米寿の会で(2016年)



日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第8回(2020.8.3)

「性差薬理学」と私

千葉大学名誉教授
千葉大学予防医学センター 客員教授
日本性差医学・医療学会 理事
      上野 光一

 私は太平洋戦争後の物資欠乏の時代に北九州の門司港で生まれ育った。南国・九州のことであるから、蒸し暑い夏などには扇風機が大のぜいたく品であった。我が家の扇風機には大変お世話になった。特に、夏休みの自由研究には何度も活用させて頂いた。「扇風機で室温は下がるか?」「扇風機で室温を下げる使い方は?」「扇風機の風の流れを可視化しよう!」など、枚挙に暇がない。これほど大事な扇風機だから、故障すると勿論自分で修理する。普通、ねじを締めるときは右廻しだが、扇風機の羽根は左廻しで締める。これを逆ねじ(ぎゃくねじ)という。中学校の技術家庭科では自転車の分解と組立という授業もあり、左ペダルが逆ねじであった。右ねじ全盛の時に、逆ねじはしっかりと自己を主張していた。右も左も其々大切な役割があることをこの時代に知った。

 「逆ねじ」という言葉は、日常会話でも使われる。言葉でやり込められている相手に対して反撃してやり返すことを、「逆ねじを食わせる」というが、この場合は「さかねじ」と読む。このことを知ったのは、大学を卒業してからであって、それまでは厚顔無恥を曝け出していた。(それは今でも変わらない)

 大学では薬理学を専攻した。爾来40数年実験薬理学と関わってきた。扱った動物種はマウス、ラット、モルモット、家兎、蛙、イヌなどであり、いつの間にかラットやイヌなどは顔を見るだけでオスかメスかを言い当てられるようになった。ラットは特に性差の顕著な動物種であり、研究目的により雌雄を区別して実験に供していた。動物では薬効に性差があることを知っていたが、人でも薬の効き目に男女差があることなどは、思いつきもしなかった。

 私は薬物代謝酵素活性が変化すると薬効や毒性も変化することを研究テーマの一つにしていた。ラット薬物代謝酵素は雌雄で代謝活性が異なる。肝臓の薬物代謝酵素分子種の発現は産まれた時はメス型パターンであるが、幼若期を過ぎるとオスはオス型の薬物代謝酵素分子種が増え、老齢期になるとまたメス型の発現パターンに戻ることを昭和60年代には知っていた。この性差発現メカニズムは、成長ホルモン分泌パターンの性差に由来することがその後の研究で明らかにされた。ラット肝臓はメス型が基本形であることは、何とも興味深いものである。

 私が性差医療と関わるきっかけは、2001年堂本暁子千葉県知事の誕生であった。9月には、堂本知事の発案により千葉県立東金病院(平井愛山病院長)に女性専用外来が開設されることになり、平井先生を通じたご縁で天野恵子先生のご指導を受けることになった。爾来、天野先生のお導きで雑誌「性差と医療」の編集委員や「性差医療・性差医学研究会」の立ち上げにも関わらせて頂いた。

 人生を決める3要素に「誰を親にして生まれてきたか」「どの大学を出たか」「誰を配偶者にしたか」があるという。私はこの他に、時代背景とメンターの存在があると思う。メンターはご縁の中から自分で選ぶことが出来る。性差医療を目指す若手会員が、良き師・良き友に囲まれた濃密な時代を過ごされることを願っている。


第4回学術集会(下関)にて、天野恵子先生と佐藤洋美先生とともに(2011年)


米国留学中ラ・ホヤ アレルギー研究所にて石坂公成・照子先生ご夫妻とともに(1991年)



「性差医学との出会いが人生を豊かにした」

大分大学 医学教育センター 教授
日本性差医学・医療学会 監事
中川 幹子

 私は福岡県北九州市生まれで、昭和50年に熊本大学医学部に入学しました。母方が医師の家系であったことに加え、高校時代に「事故で切断した手指を手術で繋ぐことに成功した」という小さな新聞記事に感動し、医師になろうと決意しました。大学時代は軟式庭球部に所属し、6年間チャリ通学でした。今の女子学生と違って日焼けも気にせず(というか当時日焼け止めなどなかった)、同級生の女子5人とテニスコートの上を真っ黒になって走り回っていました。私の大学生活での一番の思い出は、5年生の夏に大阪の服部緑地コートで開催された西医体で優勝した事です。男子部員は“奇跡の優勝”と驚いていましたが、私たちは強豪校を相手に部員一丸となって“気合”で勝ち取った結果だと自負しています。試合中のペアの掛け声は「気合入れるよ!」でした(どこかで聞いたような?)。

 さて、次に私が性差医学に興味を持ったきっかけをお話します。卒後3年目に夫の転勤に伴い熊本大学から大分医科大学(当時)に移動した際、専門を血液内科から循環器内科に変更しました。当時普及し始めたホルター心電図を用いた臨床研究に従事し、心室期外収縮の心拍依存性の研究で学位を取得しました。それをきっかけに、心電学や不整脈学に興味を持ち、検査部で毎日、12誘導心電図の自動解析のオーバービューを行っていました。月に1000枚近い心電図を眺めていると、心電図に明らかに性差・年齢差があることに気付き、心電図を見ただけで性や凡その年齢を推測できるようになりました。それが2000年前後で、天野恵子先生が性差医学の概念を日本に紹介された頃にほぼ一致します。しかし、私は当時、「性差医学・性差医療」と言う言葉があることを全く知らず、自分勝手に”womanology”と名付けて、ホルター心電図のデータ(特にQT時間)を性差の視点から解析していました。丁度、大分大学では医学部の4年生が研究室配属に2か月間従事することになり、私が指導する学生の研究テーマとして「心電現象の性差」を掲げ、学生ボランティアを募集して、健常人の貴重なデータを集積していました。

 その頃、私が所属していた内科の同門会の特別講演で、当時鹿児島大学医学部教授でおられた鄭 忠和先生のお話を聞く機会がありました。鄭先生がご講演の中で、性差医学について紹介されました。その時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。そうか、私が”womanology”と勝手に呼んでいたのは「性差医学」という既に確立された学問なのだ。何か頭の中にあったモヤモヤとしていたものがサ-ッと晴れていくような爽快な気分になりました。また性差医学に基づいた診療を行うための「女性外来」を天野先生が千葉県に、鄭先生が鹿児島大学附属病院に開設されたという話も私にとっては初耳で、その夜は大変興奮しました。もしこの講演を聞いていなければ、私は日本性差医学・医療学会の会員の一人として、今、このエッセイを書いていなかったかもしれません。

 その後、“Gender differences of ……”という書き出しのタイトルで、数編の論文を投稿しました。研究室配属の学生との共著もあります。また15年前に大分大学医学部附属病院に女性専用外来を立ち上げました。医学としての性差の研究(性差医学)と、女性外来という性差を重視した医療(性差医療)の両方に携わることが出来、大変やりがいを感じています。最近は医学教育の立場から、大学や学会のダイバーシティ活動にも関わっており、今後も微力ながら社会に貢献出来たらと考えています。


大学5年生、西医体優勝の記念撮影、トロフィーを持っているのが私


平成22年、性差の研究を日本心電学会のスチューデントセッションで発表し、最優秀賞を受賞した学生(右)と論文にまとめた大学院生(真中)


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第7回(2020.7.06)

「新型コロナ後の性差医療」

大阪大学人間科学研究科 未来共創センター 招へい教授
イシクラメディカル代表
日本性差医学・医療学会理事
石蔵 文信

 新型コロナウィルスの第一波が落ち着きましたが、早くも第二波が心配されます。職場では在宅ワークが一般化し、夫婦が一緒にいる時間が増えます。夫の上から目線や支配的な行動が妻の体調を悪化させると考えて、私は約10年前に「夫源病」を発表しました。夫が忙しく働いている現役の時は、夫婦がすれ違うので大きな問題は起こらないようです。しかし、夫が定年になると、夫婦が一緒にいる時間が増えますので、「夫源病」は定年後に表在化するのが通常です。

 しかし、新型コロナウィルスの影響で夫が在宅勤務するようになり、ストレスを感じる妻が増えているようです。夫が在宅勤務しているだけでも鬱陶(うっとう)しいのに、昼になると食事を要求してきます。また、仕事の合間に「お茶」「コーヒー」などと呼びつけられたりするでしょう。テレワークや在宅勤務で難しいのは、自己管理能力と言われています。出社している時と同様な生活リズムを守り、なるべく妻に頼らないことが在宅勤務のコツだと思います。

 今回の新型コロナウィルスの蔓延は、単に肺炎患者が重症化しやすいというだけでなく、家族の在り方や働き方に大きく影響するのではないでしょうか?

 性差医学はもちろん男女の医学的な差を研究するのが本流です。1番わかりやすいのが性ホルモンでしょう。簡単に言うと男性ホルモンは攻撃的で、女性ホルモンは守備的です。このホルモンの影響によって男女間に様々なトラブルが生じるようです。純粋に医学的な検討も重要でしょうが、男性、女性が一緒にいることによる相互のストレスに関しても注意が必要でしょう。若い時は少しでも一緒にいたいと思った男女が、数年も経てば顔も見たくない位ストレスが溜まるのはよくあることです。このような夫婦(男女)間のストレスをどのように解消していけばいいのか?が目下の私の診療テーマです。人生100年時代と言っていますが、こんなに長く夫婦関係を続ける生物はあまりないのではないでしょうか?若い先生も純粋な医学的な性差とお互いに一緒にいることによるストレスも同様に研究していただければ幸いです。



「挑戦の新たな起爆剤となった性差医学」

社会医療法人社団 カレスサッポロ 時計台記念病院
院長・女性総合診療センター長
日本性差医学・医療学会理事
日本医師会理事・北海道医師会常任理事
藤井 美穂

 医師を志したのは、高校2年の秋。高2、高3と理系志望クラスの中で4人しかいない女子学生の2人が、中学入学の時から6年間一緒の彼女たちだった。「美穂、学部はどこに決めたの?私たちは医学部に決めたよ」と聞かれ、「建築学部」と答えていた。化学の教師だった父の白衣姿と研究室が小さい頃から見近にあったこと、中学時代から数学が好きでいわゆるリケジョの道以外は浮かばなかった。一方で、小さい頃から恒例になっていた休みごとの家族旅行で行った、歴史じみた建物に強く興味を引かれていた。石積みの教会の中で遊んだ夏でも冷たい石の感触や、軽く100年は経つ黒光りのする大黒柱がある天井の高い父の実家の構造をはっきり思い出す。高校生の頃は完成間もない霞ヶ関の超高層ビルや未来の都市づくりの本を見ながら、将来は建築家と考えるようになっていた。

 母校の高校では入学まもなくから、東大医学部から始まった大学紛争の影響を受け、学校機能は失われ、授業のない荒廃した高校生活が過ぎていった。独学の勉強の合間に、地下の小さな映画館に通い青春映画に浸かりながら、受験進路は建築学部からいつのまにか医学部に変わっていた。同級生女子3人組は同じ年に道内医学部に合格、その後はそれぞれ代謝内科、小児科、産婦人科の道を歩み始めた。医6年の蒸し暑い夏休み中に、女性自身が産婦人科医になることの強みを活かそうと思い立った私は、翌日「婦人科内分泌学をやります」と、札幌医大産婦人科学講座はじめての女性医師となった。いつも周りは男子ばかりの環境で育って来たせいか、先輩医師のロールモデルのない医局も、夜中まで酒を酌み交わしながら症例の話が延々と続く時間以外は、抵抗はなかった。大学と地方の関連病院で手術や分娩など産婦人科の基礎を身につけ、「大学にいる意味は、お前でなければできないSpecialistの道を極めるか、全ての領域に亘って何でもできるGeneralistか、どっちかだ。中途半端な人材は不要」と先輩の厳しい薫陶を受けながら4半世紀を過ごした。大学生活のいわゆる臨床、研究、教育の3本柱のバランスをとりながら、ライフワークである子宮内膜症の進展機序について楽しく研究を続けていた。

 天野恵子先生にはじめてお会いしたのは、2001年に本学会理事の佐久間一郎先生が主宰されていた「女性とホルモン研究会」。特別講演としてお招きした天野先生の前座で発表させていただいたのがきっかけで、性差医学の世界に誘われた。そもそも産婦人科診療は対象が女性のみであり、臨床で性差を意識することはない。しかし、当時コロンビア大学のProf. Marianne J. Legatoによる「Eve’s Rib」を読み、Sex differenceへの好奇心にあっという間に火がついた。丁度その頃、2002年7月にWHIからホルモン補充療法に心血管疾患の予防効果がなく、開始早期にはむしろ増加させるリスクがあるとの中間解析結果が出されたことで、わが国でもホルモン投与の多角的研究が広がり、私も「ホルモンを研究しよう」と婦人科を選んだ原点に帰るきっかけになった。女性におけるテストステロンの作用と臨床応用のテーマが目下の好奇心であり、ここにきてようやく性差医療に取り組むことになるのか、と感慨深い。

 女性は理念や目標を現実に落とし込むことが得意なのではないかと感じる。本学会の先生たちは天野先生を筆頭に、正にしなやかにキャリアを繋いでいらっしゃるモデルばかりであり、医学のみならず先生達との世界に誘ってくれた性差医学は私の財産となった。この原稿を出す今日は私の誕生日であり、多くの仲間と一緒に新しい臨床プロジェクト2つの達成に向け若々しく進もうと、本学会の仲間との旅の写真を載せた。


2000年 UCLA-OB/GY留学中


2016年 性差医療の仲間達と


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第6回(2020.6.02)

「性差医学・性差学会との出会い」

島根県立中央病院 脳神経外科 外科診療部長
日本性差医学・医療学会理事
日本脳神経外科学会代議員
日本脳卒中学会代議員
井川房夫 Fusao Ikawa

 図1はくも膜下出血の年齢別頻度ですが、60歳代を超えると急に女性優位となり、女性ホルモンの欠如が関与しているとされています。第一回リレーエッセイご発表の加藤庸子先生からこの発表の依頼を受けたことが、本学会に参加するきっかけでした。本学会では、高齢女性の方がフレイル因子は高いけど男性の方が死亡率は高く、male-female health-survival paradoxも学びました。また、アカデミックキャリア委員会出席の機会もいただき、日本の医療問題に興味を持っていた私は、アンケート調査や本学会を通じ多くの勉強をさせていただきました。

 本学会は男女共同参画社会・ダイバーシティの考え方を世の中に推進していくことが一つの柱ですが、2016年のジェンダーギャップ指数(Gender Gap Index、以下、GGI)は、世界111位であり、2019年には121位とさらに低下しているのが日本の現状です。

 我々世代の脳神経外科研修医時代の働き方は、早く一人前の術者になるために、時間外でも競って手術に参加してきました。病院に長くいる医者が先輩や看護師から褒められ、ハラスメントは当たり前、手術中に手が出る先生も少なくありませんでした。そのおかげで育ててもらったと感謝していますが、今、同じことはできません。現在の医師には、従来業務とともに公共性、高度の専門性、技術革新と水準向上が求められ、仕事量は格段に増えました。それらの是正と同時に、ITの発達、人の価値観なども変化し、医師の働き方改革が必要に迫られることとなりました。本制度は2024年には本施行されるため、各病院で主治医制からチーム全体制や、休日の体制の変化など少しずつ改善されつつあります。一方、今後更なる高齢化で働き手が不足する我が国は、今後の労働力を外国人、高齢者、女性に求めていき、IT,AIに頼らざるを得なくなり、女性医療職の離職や非常勤への移行を抑えることは喫緊の課題です。男女共同参画社会・ダイバーシティの考え方は、医師の働き方改革とリンクしている部分も多いため、この際同じ次元で解決していくことが時宜を得ており、効率的・有効的ではないかと思われました。従って、アカデミックキャリア委員会でも医師の働き方改革をテーマにしてきました。2019年2月には、日本性差医学・医療学会を代表し、理事長の下川宏明先生には、日本医学会連合加盟学会連絡協議会で医師の働き方改革に向けた提言をしていただきました。また、第13回学術集会ではアカデミックキャリア委員会が開催した特別企画「働き方改革と共存する男女共同参画医療」の抄録・発表スライドをHPに掲示しておりますので、ご確認いただければ幸いです。

 本学会は、様々な専門家が性差をキーワードに集まったプロの集団であり、本学会にしかない特徴を生かしながらコメディカル向けの講習会・認定医制度も視野にコンテンツを充実させ、今後はクラウドファンディングや法人化も予定しております。

 新型コロナウイルス感染症に対する緊急事態宣言は5月14日ようやく39県で解除されましたが、都市圏ではまだまだ予断を許さない状況で、皆様にはご自愛いただきますようお願い申し上げます。


図1



第10回学術集会にて



「お会いできた皆さまに感謝」

熊本大学大学院生命科学研究部環境社会医学部門 教授
日本性差医学・医療学会 理事
河野宏明

 熊本大学卒業後、母校の循環器内科に入局した。当時、熊本大学はアミロイドーシスの研究で有名な荒木淑郎教授主宰の第一内科、成人T細胞白血病を発見された高月清教授主宰の第二内科、内分泌、腎疾患を主に担っていた第三内科、KUMAMOTO studyで有名な七里元亮教授主宰の代謝内科が大きな内科であった。一方、循環器内科は新設されて6年しか経っておらず、附属病院診療科に過ぎなかった。病棟も旧結核病棟を改装したものであり、ベッドも20床に過ぎなかった。私はどの分野に進むべきかを決めかねていた。優秀な同期はメジャーな内科に進んだが、私自身はやっていけるとは到底思えなかった。医師のイメージは聴診器だし、とりあえず心電図が診られるようになれば他に転科してもなんとかなるのではないかと愚考して、ひとまず循環器内科に進むことにした。熊大循環器内科は泰江弘文教授(現 熊本加齢医学研究所所長)が主宰されていた。研究のメインが冠攣縮性狭心症であり、卓越した泰江教授のご指導の下、医局の先生方が診療と研究を勢力的に行っており、多くの成果を挙げておられる教室であることを、研修医時代に初めて知った。私は大学病院から関連病院研修を終えて1993年に研究のために大学に帰局した。そこで教授から与えられたテーマは超音波であった。心筋コントラストエコーを行ったのだが、なかなかうまく結果が出ない。その上、私の指導医が12月に関連病院へ出向になり、ひとりぼっちになってしまった。日本循環器学会の抄録締め切りが12月なのだが、私は結果が伴わず抄録は見送るつもりだった。ところが、その状況を見た小川久雄医局長(現 国立循環器病研究センター理事長)から、必ず抄録は出すように、と厳命が下された。それを見ていた他のグループの諸先輩方からの暖かいご指導の下、なんとか日本循環器学会に抄録を応募することができ、しかも運良くacceptになった。小川医局長からも、おめでとう、とお言葉をいただくことができた。このacceptはとても印象に残っている。そして、先輩方に付いて新宿の京王プラザホテル周辺で開催された日本循環器学会に初めて参加、発表をさせていただいた。

 ちょうどその頃、発作が頻回に出現する閉経前冠攣縮性狭心症患者が病棟に入院してきた。この方のお話を聞くと月経周辺に狭心症発作が多くなるとのことであった。泰江教授は循環器のみならず内分泌学に非常に造詣が深く、当時の熊大循環器内科ではレニンーアンギオテンシン系、ナトリウム利尿ペプチドなど積極的に研究を行い、多くの研究成果を発表していた。ひとりぼっちの私は、教授から性ホルモンと心疾患との関係についての研究するようにご指示をいただいた。そこから健常な20代女性の内因性エストロゲンの変動と血管機能の変化をデータとしてまとめ、運よく発表することができた。同時に閉経前冠攣縮性狭心症患者の狭心症自然発作と内因性エストロゲンの変動を報告することができた。ありがたいことに、このデータは循環器病学を志す世界中の医療者の教科書であるBraunwald's Heart Diseaseに掲載された。これもひとえに泰江教授の卓越したご指導のおかげである。このころ幸運にも天野恵子先生、大内尉義先生(当時 東京大学老年医学教授)の目に止まり、1999年日本心臓病学会の性差に関するシンポジウムに発表の機会をいただくことできた。これを機に、下川宏明先生(国際医療福祉大学教授)、秋下雅弘先生(東京大学老年医学教授)、片井みゆき先生(政策研究大学院教授)、村崎芙蓉子先生(女性成人病クリニック院長)、倉智博久先生(大阪府立母子医療センター総長)、若槻明彦先生(日本女性医学会理事長)など内科や産婦人科の全国の高名な先生方とお話しする機会もあり、かつ、ご指導いただく機会をいただいてきた。地域医療でも多くの先生方のご指導をいただいている。熊本の春日クリニックの清田真由美院長、佐賀武雄のニコークリニック田中裕幸院長にはいつも暖かくご指導を賜っている。現在の私があるのは、非常に多くの優秀で優しくご指導いただく先輩方、同僚、そしてコメディカルスタッフに恵まれてきたことに尽きる。特に、直接ご指導いただいた泰江教授の人間性とそのご指導は素晴らしく、もっとも影響を受けた師である。患者さんを含め、これまでご縁をいただいた全ての方々に深く感謝申し上げる。


 学生時代 山岳部での阿蘇高岳登山にて。

2005年頃 学会懇親会で 天野先生 大内先生 鄭先生 松田先生と
ご一緒させていただいた時。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第5回(2020.4.27)

「1枚のグラフ」

東京大学大学院医学系研究科加齢医学 教授
日本性差医学・医療学会 理事
第14回日本性差医学・医療学会学術集会 大会長(2021/2/6-7開催)
秋下 雅弘

 私と性差医学との関わりはこのグラフに凝縮されている。フラミンガム研究から報告されたこのデータは、性差医学の世界ではとても有名で、重要な情報が詰まっている。さて、読者の皆さんはこのグラフから何を読み取るだろうか?まずわかるのは、頻度に明らかな性差(男性>女性)があることだ。次に、その性差も若年期では顕著だが、更年期を境にして、高齢期ではさほどではなくなることだ。

 私が30年ほど前に研究を始め、テーマも決まっていなかったとき、このデータが頭から離れなくなった。どうもエストロゲンが動脈硬化に保護的な働きをしているらしいが、詳しくはわかっておらず、その答えをどうしても知りたくなったからである。ネット検索などない時代なので、論文や学会、人づてに調べては試行錯誤を繰り返し、なんとかラットの炎症性血管内膜肥厚モデルを樹立し、卵巣摘出とエストロゲン補充を組み合わせて、内膜肥厚の性差はエストロゲンで説明できることを示せた。その後、エストロゲンの血管作用を中心に研究を展開し、「エストロゲンの抗動脈硬化作用とその機序に関する研究」で学位を取得し、米国に留学した。その頃、1990年代後半であるが、閉経後女性に対するホルモン補充療法が動脈硬化予防にも推奨されるようになった。貼付剤なども売り出され、新たな治療法の開発につなげるという研究医としての願望が報われる日も近い、と思い込んでいた。しかし、2002年に発表されたWHI試験の結果はホルモン補充療法への期待を見事に裏切るもので、自分の考えが甘かったことを思い知らされた。WHIには批判や反省もいろいろ出たが、結論は変わらない。

 さて、このグラフだが、もう一つ、男女とも加齢に伴い心血管疾患が増加することも見て取れる。加齢医学を本務とする私にとって基本的な現象であると同時に、それまで悪玉と思い込んでいたアンドロゲンは本当に心血管に悪いのかと思い至った。本当に悪玉なら、加齢に伴い低下することで心血管になんらかの好影響があってもよいはずと。WHIで天地をひっくり返された後でもあり、先入観にとらわれず研究を行うと、少なくとも生理的レベルでは、男性ではテストステロン、女性ではDHEAが血管保護的に作用することが基礎・臨床研究でわかった。その後、フレイルや認知症など高齢期の諸問題にも性差があり、性ホルモンが深く関わることにも興味深く取り組んでいる。まさに私の一生を左右した1枚のグラフである。とにかく性差医学は奥深い。

東大老年病学教室集合写真(1999年):左上に筆者、前列中央に大内先生、同右端に宮尾先生と当学会のメンバーもみつけられます。



月面着陸、分子生物学、そして性差医学!
Moon Landing, Molecular Biology, and Gender Medicine!


政策研究大学院大学 保健管理センター 所長・教授
日本性差医学・医療学会 理事
第16回日本性差医学・医療学会学術集会 大会長(2023/2開催予定)
片井 みゆき

Miyuki Katai, M.D., Ph.D.
Chief of Health Services Center,
Professor of Health Services and Policy Research
National Graduate Institute for Policy Studies
Director, The Japanese Association for Gender-Specific Medicine

 人類の歴史において、少なくとも私の人生において、それまでの既成概念を打ち破るエポックメイキングな出来事を振り返ってみたい。

 5歳の時、月に人類が降り立った。繰り返し見たアポロ11号の地球離陸と月面着陸の映像は、科学が進歩した未来への夢と希望を抱かせた。小学生になりマリー・キュリーやシュバイツァーの伝記を読み、医師の道を志した。

 医学生の時、Molecular Biology of the Cellの初版が世に出た。分子生物学の導入で、病気の原因も遺伝子レベルで解明される時代となることに、月面着陸を見た時と同じ胸の高鳴りを覚えた。

 医師となり10年が経ち、ボストンで内分泌代謝学の研究をしていた頃、性差医学の概念を知った。研修医の頃に出会った原因不明の胸痛を訴える女性症例の疑問が、性差医学の概念で説明されることに衝撃を覚えた。その頃、男女共通の疾患における性差は明確にされていなかった。性差は未解決の事象を紐解く糸口になりうる、性差医学・医療を極めたいと思った。帰国後、母校の内分泌代謝内科と遺伝子診療部に戻り、2003年から女性専門外来を兼任し、性差医学・医療の講演会や勉強会で天野恵子先生から薫陶を賜った。

 2007年に日本初の性差医療部が東京女子医大東医療センターで開設されることになり、専任スタッフとして異動のお誘いを受けた。新しい道に軸足を踏み入れることには、期待と共に不安もあった。本職のキャリアを性差医療という新分野へシフトするとなれば尚更だ。考えた末、安定や損得ではなく、「自分が本当にやりたいことをやろう」と決意し、性差医療部常勤医の道へ踏み出した。

 東京女子医大性差医療部では、様々な診療科から13名もの女性専門医のご協力を頂き、性差医学に基づく包括的な女性専門外来を展開することが出来た。新しい取組みのため多数のメディア報道(10年間で130回余りの取材)を受け、東京という土地の利もあり、様々な症状で悩む数多くの女性が全国各地・海外から受診された。これらの包括的女性診療データは稀少であり、集積された5000人余り(のべ6万件)のデータは個人情報を削除した上で解析する必要があると考えた。診療に追われる毎日で解析もままならぬ中、性差医療に興味を持つ女子医大医学生の皆さんの協力も得られデータがまとまり始めた。2019年度からは日本医療研究開発機構 (AMED)の女性健康課題で、「女性診療を支援するAI診断ナビゲーションシステム:WaiSEの開発」が採択され、研究開発代表者としてプロジェクトを推進する機会を与えて頂いている。

 これまでの人生において、その時々に貴重な助けの手を差し伸べて下さった多くの方々に心から感謝を申し上げたい。そして人生のメンターとなる素晴らしい方々と出会うことが出来た場として、日本性差医学・医療学会がある。この4月からは政策研究大学院大学へ異動させて頂いた。大学院学生の7割が海外省庁等からミッドキャリアで来日された留学生という国際的な環境の中で、保健管理センターと政策研究科の教授を拝命した。これまでの経験と新たに与えて頂いた立場と機会を活かし、これからも性差医学・医療の発展のために尽力することが出来たらと願っている。

 この原稿を書き終える段になり、Covid-19感染症は猛威を振るい、首都圏は医療崩壊の危機にすら瀕している。既成概念を打ち破られた出来事として、Covid-19もタイトルに追加せねばならぬと思う程、医療を含め私達の生活や概念はこれまでとは別世界の有様となった。このCovid-19感染症はまさに性差が著明な疾患で、感染率と重症化率は圧倒的に男性に偏っている。喫煙率や女性ホルモンの影響等も示唆されているが、その要因を社会的性差gender differenceと生物学的性差sex differenceの両面から解析することは、新型コロナ制圧へ繋がる一つの糸口となる可能性があるかもしれない。止まぬ嵐はないと信じる。人類の叡智を結集してこの難局を乗り越え、人々の平穏な日常と健康な暮らしが1日も早く戻ることを祈っている。


医学生の頃、分子生物学の抄読ゼミナールで。
前列中央は恩師の故寺脇良郎教授(信州大学細菌学)、写真に向かい左隣が筆者


2019年9月の国際性差医学会で各国の女性教授達と。

向かって左からProf. Karin Schenck-Gustafsson (Gender in Medicine, Karolinska Institute, Sweden)、大会長のProf. Alexandra Kautzky-Willer(Gender Medicine Unit, Medical University of Vienna, Austria)、筆者


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第4回(2020.3.27)

第13回日本性差医学・医療学会学術集会を終えて

久留米大学医学部 内科学講座心臓・血管内科部門 主任教授
久留米大学病院 副院長
日本性差医学・医療学会 理事
福本 義弘

 去る2020年1月18〜19日、久留米において第13回日本性差医学・医療学会学術集会を開催させていただき、盛会のうちに終えることができました。光栄にもこのような貴重な機会を頂き大役を務めることができましたのも、ひとえに皆様、そして多くのスタッフのお陰と深く感謝申し上げます。開催日程がセンター試験と重なったことで、試験監督などの仕事と重複された先生方にはご迷惑をおかけしました。重ねて御礼申し上げます。例年、センター試験日は悪天候、というイメージがありますが、当日の久留米は穏やかでホッとしたことを思い出されます。

 本大会の副会長には当科の大塚麻樹先生、事務局長を平方佐季先生という、女性医師2名にお願いし、企画運営をしていただきました。両人ともこれまで以上に本格的に性差医学に接することとなり、今後のわが国の医療のあり方を考える良い機会になったと感銘を受けたようでした。先生方にはこれから久留米地区、あるいは九州地区、ひいては日本の性差医療を引っ張っていってくれることを期待しています。

 さて、本会のテーマは「性差医学から健康寿命の延伸を目指す」でした。わが国はすでに超高齢社会を迎えており、すでに人口が減少し始めており、一方で、今後数十年に渡り、多くの疾患が増加することが予想されております。そのような状況において、全身的な心血管を含めた臓器保護を目指し、高齢者がより高いクオリティオブライフを維持したまま生活を継続する、すなわち健康寿命の延伸を目指すことが我々の責務であると考え、本学術集会を企画いたしました。現代の医療環境に根ざした幅広い内容にしたいと考え、脳領域、心血管領域、消化器領域領域をはじめ、それぞれのエキスパートをお呼びし、下川宏明理事長のご講演、日本母性内科学会理事長およびGID学会理事長にご尽力いただき、様々なセッションを企画いたしました。また一般演題も若手研究者をはじめ、全国から20演題以上の応募をいただき、基礎研究および臨床研究を発表していただきました。若い研究者の育成や今後のこの領域の発展につながる学術集会となったのではないかと思います。

 このリレーエッセイを書いている現在は2020年3月中旬で、ちょうどCOVID-19感染症で世界中が大混乱に陥っている時期です。現時点で中国が最大患者数を有していることに変わりありませんが、イタリアおよびイランが韓国を抜き、ヨーロッパを中心に感染者数が激増しています。日本でも連日患者数が増え、世界中でCOVID-19の封じ込めに躍起になっています。今のところ、この感染症と性差の明らかなデータはないようですが、今後のデータにも注目されるところです。私自身、久留米大学病院のCOVID-19対策委員の一人として、その対策を構築する一端を担っています。2月末から3月いっぱい、そして4月の学会および研究会がおおむね中止となり、それらの時間をCOVID-19対策に費やしているのが現状です。一刻も早く終息することを祈っております。

 今回のCOVID-19感染症もそうですが、いろいろなことを予定あるいは予想していても、突発的なことが起こり、必ずしも予想通りには進みません。そのような時こそ慌てずしっかりと世の中が進み、性差医学を含めた医学全般が進歩していってくれることを期待しております。皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

先日の性差医学・医療学会での集合写真。前列中央が私、写真向かって右が副会長の大塚麻樹先生、向かって左が事務局長の平方佐季先生。


1994年のAHAでの写真。右端が下川宏明先生、左から2番目が私です。


1997年のオランダの学会での懇親会の写真。左が下川宏明先生、右が私です。



「日本性差医学・医療学会の魅力」

埼玉医科大学総合医療センター消化器・肝臓内科 教授
日本性差医学・医療学会 理事
日本医学会連合男女共同参画等検討委員会 委員長
名越 澄子

 第12回日本性差医学・医療学会学術集会を2019年1月に大宮で開催した関係で、このリレーエッセイに投稿する機会をいただきました。本学会の前身は2004年に設立された「性差医療・医学研究会」ですが、翌2005年には「消化器病における性差医学・医療研究会」が設立されています。この研究会は、2002年に発足した「日本消化器病学女性医師・研究者の会」が中心となり、発生頻度に性差が認められている消化器疾患を中心に、病因と進展様式を性差との関わりにおいて分析し、性差に基づいた治療学を確立することを目的に設立されました。実は、同女性医師・研究者の会の会報第3号に松田昌子先生が「山口大学医学部附属病院『女性診療外来』解説」、第4号に天野恵子先生が「性差医療情報ネットワーク、性差医療・医学研究会について」のタイトルで寄稿されています。両先生からの性差医療に対する熱いメッセージが、消化器領域に性差医学の新風を吹き込んだものと確信しております。

 このような経緯があり、第3回性差医療・医学研究会から参加し、第1回日本性差医学・医療学会学術集会で、C型慢性肝炎の抗ウイルス療法における女性高齢者の治療抵抗性に関するポスター発表でデビューしました。国際学会にも3回参加いたしました。消化器領域は、循環器・代謝領域などに比べると性差が問題となることは少なく、C型肝炎の治療薬も性別にかかわりなく著効するようになったため、最近は専らジェネラリストとしての腕を磨きに出席しています。多病を特徴とする超高齢者医療においては、専門領域だけでなく多くの併存疾患についても的確な診断や適切な治療を行うことが求められています。多彩な分野における性差を視座とした最新の研究成果や医療の実態を学ぶことができる本学会は、大変魅力的な学び舎です。また、様々な領域の専門家や女性医師のキャリア支援のベテランの先生方との交流は他の学会では得難い宝物です。多くの方々に参加していただき、あらゆる領域に性差医療が浸透することを願っています。


文脈には無関係ですが、皆様載せておられるので


第12回日本性差医学・医療学会学術集会にて


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第3回

性差医学医療との出会い

和温療法研究所所長 / 獨協医科大学特任教授
日本性差医学・医療学会 理事 鄭 忠和

 私が性差医学医療に出会ったのは天野恵子先生とのご縁によるものでした。1975 年~1977年にかけて東大坂本二哉先生の研究室に国内留学していた時、研究室での私の机が天野先生の机と隣同士で、天野先生からいつも適切なアドバイスや指導を受けていました。天野先生にいつも感心したことは、英語文献の読むスピードと理解力、そしてオリジナルな発想と行動力でした。当時、天野先生は3人のお嬢さんを育てながらの勤務で、寸暇を惜しんでの勤勉ぶりに圧倒されていました。昼食時はいつも文献を読みながら弁当を食べておられました。ある日、お嬢さん達の世話をする方が何かの事情で休まれ、3番目のお嬢さんを連れて研究室に来られました。3歳ぐらいだったと思います。文献を読みながらお嬢さんに箸で弁当を食べさせていたのですが、先生の目は文献を読みながらお嬢さんの方を全く見ないで、時々箸に挟んだご飯やおかずをさっと差し出すのです。するとお嬢さんは口をぱくりと開けて、箸に挟んだご飯やおかずを素早く口に入れて食べるのです。実に鮮やかな親子の連係プレーでした。箸が目をつついたらと私は心配で落ち着きませんでしたが、何事もなく昼食を終えられました。天野先生の集中力のすごさを感じさせる忘れられない思い出です。
 日本で最初に性差医療を提唱したのは、1999年第47回日本心臓病学会(村山正博会長)で、天野先生が企画立案された性差医療に関するシンポジウムでした。更年期女性に多い「微小血管狭心症」を紹介され大変感銘を受けたことを記憶しています。そのシンポジウム後、天野先生から性差医療のお話をお聞きする度に、女性医療の重要性を痛感するようになりました。私には3人の娘がおり、娘たちのことを考えると性差医学医療の重要性を素直に理解することができました。
 2000年12月末、鹿児島大学第一内科の女医さんと同門の女医さん達に呼びかけて、天野先生をお招きして、「Gender-Specific Medicine」を学ぶセミナーを企画しました。20数名参加した女医さんたちは天野先生の講演にすっかり感動して、講演後の懇親会で全国に先駆けて女性外来を立ち上げようという機運が一気に噴出しました。そのリーダーが嘉川亜希子先生でした。嘉川先生以下8人の女医さん達で(写真)、翌年2001年5月に本邦初の女性外来を鹿児島大学病院の第一内科外来に開設したのです。その後、女性患者の要望に応えるべく全国に女性専門外来が普及しましたが、その原動力は堂本千葉県知事と千葉県衛生研究所所長の天野先生の二人三脚による力強いリーダーシップでした。堂本知事と天野先生には鹿児島大学医学部の学生に性差医療の特別講義をしていただきました。天野先生にはその後、非常勤講師として、毎年鹿児島大学医学部4年生に90分授業を2コマ(180分)、2012年3月に私が大学を退職するまで学生講義をお願いしました。「Gender-Specific Medicine」を普及発展させるためには医学生に対する教育は極めて重要です。

2001年5月、鹿児島大学第一内科女性専用外来開設時の8人の女医さん達


 現在、最先端の医療は臓器別診療として細分化されていますが、臓器別診療は診断・治療の精度を向上させるために必要不可欠なことです。しかしそれだけでは十分でないように思います。最終的な目標は各臓器を構成している全身的な回復でしょう。全身的回復は身体的な回復だけでなく精神的な回復も含みます。すなわち、全人的回復が医療の最終的目標だとすれば全人的医療が必要です。性差医学医療は全人的医療に通じる医療であると思います。
 2010年日本循環器学会の「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」を嘉川先生と天野先生の協力を得て作成することができました。性差医学医療の研究・診療が進み、性差医療に関するガイドラインの改訂版が近い将来作成されることを期待します。
 私は初代理事長(2008~2012)を務めさせていただきましたが、無事に責任を果たせたのは天野先生と嘉川先生のご協力と多くの会員のご支援のおかげです。第2代理事長を下川宏明先生に引き継ぐことができたのは私の一番大きな喜びであり業績です。下川理事長になってからの本学会の発展は素晴らしいものです。下川理事長は2017年9月に第8回国際性差医学会学術集会を仙台で開催し、世界18ヶ国から約250名が参加して大変盛会でした。国際性差医学会のboard memberに下川理事長が選出されたことは日本性差医学医療学会にとって大変喜ばしいことです。下川理事長の卓越したリーダーシップで、本学会が世界をリードする学会に発展することを大いに期待しています。


日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第2回

恩師 坂本二哉先生に感謝

一般財団法人 野中東晧会 顧問
日本性差医学・医療学会 理事
天野惠子

私が医師になろうと決心したのは7歳の時でした。4歳で父親の転勤に伴い、雪深い秋田県へ長野から移ってきました。今に思うと最初はいじめの対象でした。幼稚園にも3日で登園拒否になり、家でひたすら本を読んでいました。小学校に入学し、授業はとても楽しかったのですが、家に帰ってから遊ぶ相手がいませんでした。私が小1の時に、父は肺結核の診断で(誤診だったのですが)、一人神奈川県茅ヶ崎へ転地療養に出掛けていきました。その頃は外に出れば、子どもたちが大勢いて、群れとなって遊ぶのが日常でしたが、小6の女の子をボスとした集団は、私が「遊んで」というと「惠子毛だらけ灰だらけ、お前の父さん肺病やみ」とはやし立てて、さーと逃げていくのです。そんな時に、我が家の裏に、1歳下のかわいい女の子が何らかの事情でおばあさんに引き取られてやってきました。私が唯一心許せる友達でした。ところが、1年も経たない秋に、彼女のおばあさんはくも膜下出血で帰らぬ人となり、彼女もどこかへ貰われていきました。母に「どうして人は死ぬの?」と聞いたとき、母は「惠子さんがお医者さんになって、人が死なないようにしてちょうだい」と、真顔で話してくれました。その時に、医師になることを決心して以降、その夢が揺らぐことはありませんでした。秋田市立築山小学校、秋田大学附属中学校と学校生活を楽しく過ごし、中学2年の12月に、父親の転勤に伴い、上京してきました。品川区立荏原第一中学校、都立日比谷高校を経て、昭和36年に東京大学理科Ⅱ類に入学、38年に医学部医学科へ進学しました。ところが、卒業を控えた昭和41年からいわゆる医学部の紛争が始まり、卒業試験はボイコットされ、卒業は昭和42年の8月でした。病院は封鎖され、友人たちは各々自分の知己を頼って日本各地へ散らばり、東大病院が閉鎖から開放されたのは昭和46年でした。私が東大病院へ戻ったのは昭和49年。色々な経緯を経て、第二内科坂本二哉先生の研究室に入りました。心音図・心エコー図の世界で坂本先生を知らない方はいなかったと思います。その時に、坂本先生が下さった「心音図の手引き」に書かれた先生の言葉が、その後私の宝物となり、その言葉に負けぬよう生きてきた自分がいます。平成15年日本性差医学医療学会の前身である性差医療・医学研究会を立ち上げ、平成16年3月14日に第1回学術集会を開催しましたが、その背中を押して下さったのも坂本先生です。平成11年のある日、私の机の上に“Heart Disease in Women” edited by Pamela S. Douglasの本がさりげなく置いてありました。私がGender Differenceに目覚めた瞬間です。75歳を迎えた今、「あらまほしきは先達なり(徒然草 第52段)」とつくづく思う今日この頃です。医療・医学の実践において、迷うことがあったら、先輩の意見を聞いてみることも大事です。




日本性差医学・医療学会 リレーエッセイ第1回

私と性差医学

東北大学医学系研究科 循環器内科学 教授
日本性差医学・医療学会 理事長
下川宏明

 役目柄、このリレーエッセイの第1回目を引き受けることになりました。学会HPのご挨拶でも述べていますように、天野先生・鄭先生にお声をかけていただき、2004年に本学会の前身の「性差医療・医学研究会」の時代から参加し、2008年に「日本性差医学・医療学会」が発展的に設立されて鄭先生が初代の理事長を務められた後、2012年から2代目の理事長を拝命しています。昨年9月には、仙台で国際性差医学会を開催させていただき、国内外から多くの方々にご参加いただき、有難うございました。

 さて、私の家族は、両親も祖父母も共働きで、子供の頃から、女性も社会に出て男性と同じように働くことは当たり前という感覚で育ってきました。「男女共同参画」の意義が現在強調されていますが、私共夫婦も共働きで、個人的には子供の頃からその感覚は何の疑問も持たずに育ってきました。母は中学の教師をしていましたが、自宅と職場の間にちょうど母の実家があり、毎日、母の自転車に乗せられて実家に連れていかれていたことと、自転車をこぐ母の背中が記憶にあります。ただ、現実はまだまだ改善すべき点が多々あり、13年前に私が東北大学に着任してその週のうちに真っ先に行ったことが女性更衣室の設置だったことは象徴的です。

 今年の第11回目の学術集会を担当してもらった九大の樗木晶子先生とは九大の同級生です。彼女の旧姓が陶山で、五十音順で下川―陶山と学籍番号が隣同士で何をするにも一緒でした。当時は、医学部卒業後は直接入局制で、私が循環器内科に入局したいと挨拶に行ったところ、当時のやり手の医局長から「当科は一人では入局させないことになっている。誰かを誘って二人で入局してほしい。」と騙され、私はその言葉をまともに信じて樗木先生を誘って二人で行ったところ、女医さんの入局は想定外であったらしく、大変慌てられて、樗木先生の入局が許可されるまでにはいろいろとありました。しかし、その後の樗木先生の頑張りは大変なもので、現在は九大保健学科の教授として活躍していますが、3人のお子さんの母として、また同業医師の妻としても奮闘しています。まさに、「女性(女医)の一生」を見せてもらっているようです。

 最後に、研究テーマの一つとして、冠微小循環障害を長年研究してきていますが、最近、非常に面白い展開になってきています。この冠微小循環障害は、最初は、更年期前後の女性に多い微小血管狭心症の原因として注目されましたが、最近では、虚血性心臓病全般や心筋症・心不全等の病態にも深く関与しており、重要な予後規定因子であり新たな治療標的であることが分かってきています。研究の興味は尽きません。

 性差は、人種・年齢・生活習慣・遺伝・環境などとともに、医学・医療において当たり前に考えるようになる時代がもうすぐそこに来ていると思います。


アルバム<九大の同級生>

下川宏明先生(右端)
サッカー部合宿(英彦山)にて
樗木晶子先生(手前)
解剖学実習にて

第11回日本性差医学・医療学会を終えて

九州大学大学院医学研究院 保健学部門 教授
日本性差医学・医療学会 理事
樗木晶子

 2018年1月20−21日、福岡での第11回日本性差医学・医療学会を無事終えることができ一息ついております。穏やかな小春日和の二日間でした。皆様に心から感謝申し上げます。メインテーマを「性差の源流に遡る −多様性への道程−」と致しましたが、プログラムを考えてゆく上で、何と壮大なテーマを掲げたことかと後悔する羽目になりました。つらつら、本学会の役員名簿を睨んでおりますと、各分野の錚々たる専門家ばかりです。基礎医学のみならず臨床にいたる多彩な領域でリードされている本学会員の先生に各セッションをお願いすれば一つ一つが珠玉のシンポジウムとなるではないか。それからは電話・メール攻勢の毎日でした。悩んでいる最中には様々な先生から親身に知恵や情報を頂き元気づけられました。感謝申し上げます。プログラムが出来上がってゆくにつれて、これだけの先生に講演して頂くからには、それなりの聴衆も集めることが次の課題となりました。このような学会横断的で多彩な分野の医学・医療を一堂に会して学べる機会は滅多にありません。様々な患者に対応しなければならない実地医家こそ、すぐに役立つ知識を得ることのできる学会ではないかと思い、共催してくれた製薬会社のMRの方に自社シンポジウムの広報活動にあわせて、そろりと本学会のお知らせもお願いいたしました。その結果、参加していただいた非学会員の開業の先生も熱心に聴講されており、質問までしていただきました。学会の中核には各領域の専門家を拝し、広く社会に性差医学・医療を普及するためには一般会員として総合診療医や実地医家にターゲットをあてるという学会の方向性もありではないかと思います。

 本学会を企画運営させて戴き、改めて、全ての細胞、臓器に性差があり将来は遺伝子レベルでもそのメカニズムが解明されることも夢ではないことに想いを馳せました。メダカやマウスの性における不思議な生態も興味深く、日頃、臨床や教育で忙殺されていると忘れてしまう“科学する心”を楽しむことができたように思います。

皆様、本当にありがとうございました。


ちしゃき家の猫です太宰府市 樗木チビ

私はチビといいます。ちょっと間抜けのトロと神経質なビンという娘がいます。私達の飼い主は「ちしゃきあきこ」といって人間界では大学の先生をしているようです。朝早く出て行き夜遅く帰りバタバタ動き回って私たちにも猫なで声でよく話しかけてきます。キャッツフードをいつも入れてくれて綺麗な水を用意してくれるのも、トイレを清潔にしてくれるのも彼女なので猫界ではランク付けは上位ですが、どうも家族の中では最下位のようです。見るところかなりのおっちょこちょいでいつも的外れな発言をしているようです。例えば「海外に郵便を送る時に一番速く着くのは空港の郵便局よ」と子供達に得意げに教えています。私らだって「一番速く着くのは博多中央郵便局だって知っているのにさ」。彼女は一事が万事この調子ですが、何とか家庭がまわっているのは人間のできた御主人の存在でしょう。猫の私達からも大学の先生が務まっているのか心配なのですが、きっと、大学でもこんな調子なので誰かしっかりした人が支えてくれているに違いありません。不思議なことにどういうわけか学生さんや秘書さんにしても、しっかりした人が周りに集まっているようです。患者さんには変わった人が多いようで主治医と「どっこいどっこい」の人が多いようです。私も患者さんから餌付けされてちしゃき家にもらわれてきました。私を「いりこ」で餌付けした患者さんも変わった人でしたが、それを貰う主治医なんているのでしょうか?大学病院では「患者さんから謝礼は貰うことならぬ」といわれているのに。。。猫だからいいと思ったのでしょうね。貰われてきてからトロとビンを産みました。産気づいた時、中学生の次男坊主しか家にいなかったので心細かったけど、私が苦しがっているのを見てびっくりし、隣の祖母宅に駆け込み「チビがおしりからなんか赤黒いものを出しよる」と血相を変えて呼んできてくれました。お陰で無事にトロとビンを出産し、次男坊主にも性教育してあげることになりました。自称「美猫」ですのでこれからもよろしく・・

写真の説明
ねこ籠のなかのシャム系虎模様日本猫が私です。美しいでしょう。右隣の非対称性燕尾服日本猫が娘のトロです。鼻の左のホクロが愛嬌で、ちょっととろいです。姉のビンは神経質でパソコンの前に陣取って飼い主からおなかをなでて貰っています。この子は完璧な対称性燕尾服で白手袋も白足袋も完璧な同一サイズです。母子がなぜこんなに似てないのか、不思議ですが、娘達は父親の生き写しです。娘には父親の血が濃く移ると言うでしょ。此方に貰われてきてから彼とは会えなくなって寂しいわ。



リレーエッセイ性差医学医療学会

藤田保健衛生大学坂文種報徳會病院 脳神経外科 教授
脳血管ストロークセンター センター長
日本性差医学・医療学会 理事
加藤庸子

 この度、日本性差医学・医療学会ではリレーエッセイと題しまして、本学会に関わりの深い先生方らと共に性差医学・医療についての考え、想いや各ご専門を目指された目的などエッセイをバトンタッチしながらリレー形式で皆様に情報を交えてお届けすることを目的に始めさせて頂きました。

 私が脳神経外科医を目指すきっかけになったのは、当時の講座教授からの“元気そうだから脳外科やってみませんか”の一言でした。その場で承諾した自分を当時は誇らしげに思っていました。学生時代から1、2の医局に入り浸っていました。楽しい学生時代でした。しかし、女性で外科系を選択するのは稀な時代でもあり、はなから外科入局は期待もしていませんでしたので内心やった!と思いました。

 当日連日のように来る脳卒中の患者様の対応や緊急手術は楽しくてなりませんでした。脳神経外科学会からもの珍しい“女性脳外科医”として目に写ったのでしょう。父親ほど年の離れた教授からは、可愛がって頂きました。

 しかし大方の男性医師は、いつ弱音をはいて辞めるのか期待してみてい たと思います。医局の上司の理解に恵まれ、香港への初の国際学会をはじめ、国内の学会にも顔を出すようになり、物珍しい存在から、結構しぶとく頑張るという評判に変わりました。脳外科世界連盟の理事にも、アジアから初、しかも女性で初の選出は自身の世界への開眼に繋がりました。外から日本を眺める絶好の機会でもありました。単一民族、単一言語、島国の平和な環境は他国と大きな違いでした。

 途上国の若者の教育が世界脳神経外科連盟のmissionでしたので、その教育長を命ぜられた折には、アフリカ、中央アジア、南米に出向く機会があり多くを学びました。しかし世界の女性脳外科医の現状は厳しいものでした。それを知る機会も、日本にfeedback出来る機会もこの海外勉強から頂きました。 今回の私の話からは、是非好きな道を選んで突き進んで下さい。そして、ガッツに食らいついて若いうちに色々な冒険をしてほしいと思います。

2003年米国SanDiegoの学会にて


ネパールで開催された国際学会での女性医師集会にて